母親にはやむを得ない事情があるものだし、赤ちゃんが泣いてしまうのは仕方のないことだ。しかし、こうした赤ちゃんと親に関する話題は、たびたびネット上でも話題となり、炎上しやすくもある。
なぜ日本では、赤ちゃんがこれほどまでに議論の対象になるのだろうか。『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』(三輪舎)の著者、境 治さんに聞いてみた。
「その理由のひとつは、赤ちゃんと接する機会が少ないからだと思いますね。子育ての大変さというのは、触れてみないと分からない。かつては日本でも兄弟姉妹や親せきの多い状態では、下の子の面倒を見る機会がありました。でも今は、核家族化で子育てに触れる機会は圧倒的に少なくなっています」
境さんによると、欧米諸国では公共の場で赤ちゃんが泣きだしたら周りの人があやしたり、乗り物でベビーカーを見ると手伝ってくれたりするのが日常的な光景だという。
「だから欧米社会はすばらしいといいたいわけではありません。ただ、アメリカでは大学生がベビーシッターをするなど、子育てに触れるのが当たり前になっています。こういう経験の有無は、赤ちゃんに対する価値観として大きいと思います」
そもそも、日本は特に都市部の地縁・血縁関係が薄く、『他人に迷惑をかけてはいけない』という意識が根強い。また、「赤ちゃんが泣いたらどうしようもない」ということを、身を持って知る機会も多くはない。それゆえ、迷惑をかけないためのルールが重要視され、ギスギスした風潮を生み出している側面もあるようだ。
「『迷惑』というひと言で片づけてしまったら、赤ちゃんはどこへ行ってもそうなってしまいます。子育てにおいて、迷惑はかけたっていいのです。ベビーカーを引いていて階段しかない場所なら、『ごめんなさい、手伝ってもらってもいいですか?』と近くにいる人に声をかけ、その人が赤ちゃんと接する機会を作ってしまいましょう。最後に『ありがとうございます』と伝えれば、相手も悪い気はしませんから」
境さんによれば、「風潮を変えるには、困ったときにママからどんどん発信するのも大切」だという。「迷惑をかけるのでは」と心配しすぎるより、赤ちゃんを通じていろんな人をつなぐことで、子育てしやすい環境に変わるかもしれない。
(南澤悠佳/ノオト)