【てんかん育児】わたしの一番の理解者は子ども達だった
結局、子ども達がてんかんを発症してから2年近くは発作が止まらず、薬の調整にも苦戦していました。特に次女は、てんかん重責を起こすので毎回救急搬送され、その度に入院生活を送っていました。
当時のかかりつけの病院は付き添い入院が出来ず、面会時間は15時~19時まで。わたしは午後に仕事を早退し、その足で病院へ行っていました。
そして19時が過ぎてスピーカーから「蛍の光」が流れ出すと、親と離れ離れになることがわかるのか、次女だけでなく周りのベッドの子ども達もわんわん泣きはじめ、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にしていました。
親としても辛い場面でしたが、この光景を見るようになってから、あんなに子ども達も頑張っているんだから、塞ぎこんでばかりではいけないと思うようになりました。
そして少しずつ休みの日は布団から出るようになり、本屋に行っててんかんのことを調べたり、勉強会などに参加していました。そしてこの頃から、自分の気持ちを発信できる場を求めて、「てんかん姉妹」というブログを書きはじめました。
ブログをはじめてから、文章を書く楽しさを感じるようになりましたが、数年後の今、ライターの立場でこの記事を書いていることには、自分自身が一番驚いています(笑)
話が少しそれましたが、わたしがこうして記事を書けるのは、今まで子ども達が文句ひとつ言わずついてきてくれたからです。
特に長女には相当無理をさせていたはずです。
度重なる通院、次女の入院時にはひとりで留守番をさせ、卒園式の朝に発作が起きたときも、頭痛と嘔吐の中参加させてしまいました。
今となっては武勇伝のよう聞こえるかもしれませんが、当時は修羅場そのものでした。
なにせ第一子だったので、ただでさえ子育てでもはじめてのことばかり。
それに加え、てんかんのこともあったので、「ちゃんと育てなければ」と、とてもプレッシャーを感じていました。
上手くいかないことがある度に、「ただでさえ病気持ちなんだから、しっかりさせないと周りに置いていかれる」と、長女に厳しくあたっていました。
それでも長女は、わたしを悪く言ったことなど一度もなく、通院や苦しい検査も愚痴ひとつ言わず耐えていました。
一方次女は嫌なことは嫌という性格なので、毎回大暴れで医師や看護師さんも困り果てていました。
そんな両極端な姉妹でしたが、ふたりとも私が仕事をしていることを受け入れ、応援してくれました。
1番そばにいないといけないときに、1番治療が大事なときに、本当は仕事どころではないのに辞めることはできませんでした。もっと子ども達の体調管理をしたり、話を聞いてあげたいと思うときは毎日のようにありました。
しかし、それでもわたしは仕事を取りました。
「きっと子ども達はわたしを恨むだろう」そう周りに話したことがあります。それだけのことをしてきたのは自覚していたし、罪悪感もあったからです。
しかし子ども達は恨むどころか、残業で保育園のお迎えが遅くなっても、牛丼屋の日が続いても、仕事を辞めてと言われたことは1度もありません。
長女がわたしに宛てた手紙には「お母さん、お仕事がんばってください」と書いてあったり、次女は床やソファーで力尽きたわたしによく毛布を掛けてくれました。
今、わたしが頑張れるのは、こうした子ども達の理解と協力があるからです。
【てんかん育児】想いや罪悪感は墓場まで持っていく、けれど…
わたしの知人で、2人のお子さんを育ててきたお母さんがいます。お子さん達は生まれつき弱視でメガネでの矯正も難しく、今は成人され就職もしましたが、ほとんど文字は見えず、苦労することも多かったそうです。
知人とは時々会い、お互い近況報告をしていますが、病名は違えど、健康に産んであげられなかった子どもへの申し訳ないと思う気持ちは同じです。
そして、この想いや罪悪感は墓場まで持っていくと、よくふたりで話しています。
親だけが悪いわけでないのは理解しています。
しかし、産んだのは母親で、産まれてきた子どもに病気があった。その事実は変えることはできず、一生抱えて生きて行かなければなりません。
それでも、はじめの頃は棺から溢れるほどの罪悪感がありましたが、今では随分少なくなったと思います。
子ども達を通じて学んだことは山の様にあり、またわたしに新しい世界をたくさん見せてくれました。
今から3年前、子ども達の発作が落ち着いた頃、わたしはもっと子どものことを勉強したいと思い、会社を辞めて在宅ワークをしながら、2年間通信制の大学で心理や教育、福祉を学びました。
その間に憧れのひとつだった小学校勤務も実現し、障がい児への実務経験を重ねながら、非営利活動で、障がいのある子もない子も共に学べる居場所支援を立ち上げました。
子ども達のてんかんは、主治医曰く、治るか治らないかは誰にもわからないそう。
しかし将来どんな結果になっても、わたしの子どもには変わりありません。10年、15年後、一生ふたりの母親でいられるよう、今できることを精一杯頑張ろうと思います。
執筆/牧ひとみ
てんかんと発達特性を持つ小学生姉妹の母。
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