「当たり前のことができない」毒親育ちの私が義実家同居で気付いた記憶障害

「当たり前のことができない」毒親育ちの私が義実家同居で気付いた記憶障害

私は30歳のとき、結婚と同時に毒親と縁を切りました。夫が私を愛してくれたおかげで、両親からの虐待にやっと気付けたからです。


「当たり前のことができない」毒親育ちの私が義実家同居で気付いた記憶障害


そうして結婚し義両親と同居を始め、ふとした会話の中で過去の記憶をさかのぼっていると、実家で暮らしていた18年間の記憶がほとんどないことに気付いたのです。当たり前の常識すら持ち合わせていない私は、「嫁として不甲斐ない」と感じることが多く……。

空白の18年間

いま私が住んでいるのは義母の実家で、この家には義母の人生が詰まっています。日々義母の口から語られる思い出話は、どれも温かく微笑ましいもので、ふと自分に当てはめて記憶の扉を開けてみると……ないんです。記憶がぼんやりとしている、とかではなく、記憶がない。


「家庭の味は?」とか、もっと言えば「味噌汁には何が入っていた?」みたいな質問にも答えられないことに困惑しました。


18年間、実家に住み食べていたはずのものなのに、まったく思い出せないんです。虐待に気付くのにも30年の月日がかかりましたが、記憶が抜け落ちていることに気付いたのはそのさらに1年後のことでした。

常識を知らない嫁を迎えて

その後カウセリングを受けたり、情報収集をしたりする中で、記憶がないのは「忘れた」のでなく「覚えないようにしていた」のだろうと結論づけることができました。そうやって自分なりに答えが出せたことで、最近ではそんな自分を愛せるようにもなりました。


それでもいろんなことを知らないので、困ることがあるのです。


虐待を受け、人間として扱ってもらえなかった子どもは、親の機嫌取りに終始するあまり、成長とともに身に付くはずの日常生活レベルの常識がわからなかったりするそうです。箸のマナーすら知らなかった私に嫁らしい振る舞いなど到底できず、同居を始めた当初はひどく落ち込むこともありました。


そんな私の様子を見かねた義母は、「自分を嫁だと思わなくていい。私たちもあなたを子どもだと思って育てることにする」と言ってくれました。ホッと肩の荷が降りたのを覚えています。

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