「障がい児を育てるママは、“腫れものにさわるような対応“ではなく、分け隔てなく接してほしいと思っているんです。“障がい児だから…障がい児のママだから…”という色眼鏡で見られることは、むしろ窮屈で生きづらいんです」(立石さん 以下同)
例えば、“ダウン症の子は天使”、“自閉症の子は特別な才能がある”とか、“障がい児のママは人格者である”、“派手でなく地味で控えめ”など、世間を独り歩きしてしまっているこうしたイメージに、障がいを持つ人や家族は苦しんでいるという。
「健常児の性格も才能も、みんないろいろですよね? 障がい児の親子も同じように、いろいろなんです。性格の優しいダウン症の子もいれば、キツい子もいます。特別な才能を持つ自閉症児ばかりでもありません。ママだって、地味なママもいれば派手好きのママもいます。障がい児だから…とか、可哀想だから…という考え方や接し方ではなく、同じように分け隔てなく接してほしいのが本音です」
なかには、“障がい児”というレッテルを貼られることを恐れ、わが子の障がいを受け入れようとしなかったり、公表できずに苦しんでしまうママもいるという。
「世のなかには様々な考えがあり、何が正しい、間違っているはありません。やむにやまれぬ事情もあるかもしれません。しかし、わが子の障がいをひた隠しにすることが、果たしてその子にとって幸せでしょうか? わが子のありのままの姿を親自身が否定している、恥ずかしい存在と思っているとしたら、子どもがかえって可哀想に思います」
さらに、障がいをひた隠しにしてしまう親御さんの姿勢は、周りの人がサポートしたくても、しづらい状況にもしてしまうと、立石さんは話します。
「障がい児を持つ親御さん自身が、障がいを受け入れることに戸惑いを感じていると、周りの人もサポートしたくても腫れものに触るような対応になってしまいます。その結果、どんどん自分自身と子どもを追い込むことにもつながってしまいます。むしろ、わが子の障がいを受け入れ公表し、“この子は障がいがあって、○○はできますが、○○はできません。そういうときは助けてくださいね!” と、言えば、温かい支援が受けられますし、周りの人も対応の仕方が具体的にわかり、支援しやすくなりますよね? また、人には“承認欲求”というものがありますから、助けた人も感謝されることで自分の存在意義を実感することができて、互いにとてもいい関係を築けると思うんです」
立石さんは、“障がい児を道連れに親子心中”、“子育てに悩み障がい児のわが子を殺害”…などの悲しいニュースを目にするたびに心が痛むという。
「こういう親御さんの気持ちがわかってしまうだけに、いたたまれなくなるのです。だからこそ、なんでも抱え込むのではなく、一人でも多くの人にわが子の障がいを理解してもらうこと、助けてほしいときに“助けてください!”と言えることが大事だと思っています。そして、障がい特性を多くの人に理解されてこそ、“障がい者はこうでなければならない”という、考えや枠組みで縛られることなく、自由にのびのびと生きることができ、結果として子どもの可能性を伸ばすことになるのではないでしょうか」
健常者だから…障がい者だから…という助け合いではなく、世のなかには多様な人がいて、困っている人がいたら、互いに助け合い、支え合う。そういう垣根のない社会になることを心から願うばかりですね。
(構成・文/横田裕美子)