未来の防災教育を考える

未来の防災教育を考える

防災教育の二極化

「ぼうさいこくたい2023」が、9月17日(日)18日(月)の二日間、横浜国立大学を会場にして開催されました。私は、防災教育学会のセッションで、「防災教育の未来を考える」と題したパネルディスカッションの司会を務め、研究者、教員、大学院生、弁護士らと、現在の防災教育の到達点、未来の展開予想を話し合いました。
 防災教育の現段階での課題を、私は以下のようにとらえています。
防災教育は広がってきているように見えます。しかし、総合的・継続的に実践を行う学校は一部の研究指定校や熱心な先生がいる学校、過去に大きな被災体験を持つ地域の学校にほぼ限られています。多くの学校はまだまだ年に2、3回の火災避難訓練をルーティーンとして行っているだけです。
避難訓練以外に防災教育を行っているという学校も、実は、講演会などを外部の防災関係者や語り部へ丸投げしてお茶を濁しているケースが多くあります。教員が実践の主体者になっていないし、子どもたちに「生きる力」をつけているとは言い難いと思います。
防災教育の二極化が現段階の課題です。
ただ、この20年間の積み重ねで、防災教育の実践に対する評価が変化してきました。以前なら、防災教育を行ったというだけで「素晴らしい」と褒められ、その内容に即して妥当性や信頼性、継続性などが評価されることはまずありませんでした。平たくいうと防災教育をやったという事実だけが称賛の対象となり、内容はどうでも良かったのです。疑問符がつく実践もあったにも関わらず、です。
でも、近年、実践の事実ではなく内容、方法などが研究、評価の対象となってきました。防災教育学会や他の教育系の学会、防災系の学会が、やっと防災教育を学問と認識して、批判的な見方をするようになってきたのです。良い防災教育を正しく評価して広げ、おかしな防災教育を批判して改善(あるいは駆逐)しようとする動きが形成されてきたのです。
結局、現段階では、防災教育実践の二極化をどうするかが課題です。つまり、富士山のてっぺんで頑張っている素晴らしい実践を深めるだけではなく(もちろんこの存在が防災教育の実践を強力にけん引し、内容を劇的に深めていきます)、その積み上げを何もしていない(避難訓練や外部への丸投げの講演会はしているとしても)すそ野の学校にどう広げるかが問われているのです。

防災のオタク化

このような課題意識をもってぼうさいこくたいに参加し、自分たちのセッションだけではなく、他のセッションやブースなどを回っていると、ふと、「オタク」という言葉が頭に浮かびました。「防災オタク」です。本当にたくさんの団体が出展していて、アニメのお祭りの様に防災のお祭りを展開しているのです。
人々は、同じ趣味を持つ人々と社会的なグループを形成します。そして、ある分野に没頭している人々が、仲間同士で深く交流を繰り広げている姿をややネガティブにとらえる意図をもって「オタク」という表現が使われてきました。社会一般からは、やや理解し難い人たちの集団だとみなされていたのです。現在では、「オタク」という呼称が、そういったネガティブな意味だけではなく、肯定的な評価を伴って使われるようになってきているような気がします。「オタク」はある分野を深く追究している人やそのグループを指していて、追求の深さや追求する人々の存在感を肯定的に受け止める表現としても使われるようになってきたのです。
だから、「防災オタク」は昔のネガティブな「オタク」ではなく、肯定的な「オタク」、つまり、こだわりの強い少し変わった人たちの閉じられた集まりではなく、社会に有益で必要な集団に育っていかなければならないのです。

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