「被災した地域に支援物資を送りたい!」そう思っても、冷静に。支援物資のしくみ

「被災した地域に支援物資を送りたい!」そう思っても、冷静に。支援物資のしくみ

これまでも、大きな災害が発生すると、「この物資がたりません」「この物資が欲しい」というような被災地からの声が、たびたびSNSに書き込まれてきました。ニュースなどでも、食料や生活用品などが不足して困っている被災した人たちのインタビューなどを目にしたことのある方は多いと思います。
そんな時に、「少しでも役に立てれば!」「足りないものを送ってあげたい!」そう考えることは、ごく自然なことなのかも知れません。

しかし、被災した地域には、本当に物資がないのでしょうか?
個人で物資を送ることは、本当に被災された方たちを助けることになるのでしょうか?

支援物資がどのように被災された人たちに届けられるのか、大きな災害によって被災した地域ではどのような事態になるのか、その仕組みや過去の事例などを知って、被災していない地域から被災地の人たちを支えるにはどのような行動をとったら良いのか、災害時に困らないためにどう備えたら良いのか、被災したときにはどのような行動をとったらいいのかなどを考える手掛かりにしましょう。

「支援物資がない」のではなく「支援物資が届いていない・届けられない」

SNSなどで被災した方から発信される「食料や生活用品に困っている」などという情報。確かに、その人のところには、必要なものが足りなくて、本当に困っていらっしゃるのかも知れません。しかし、それを目にした被災していない地域の人が物資を送っても良いのかというと、答えは「NO」です。

被災地にすでに物資はある(届いている)けれど、避難所など、被災した人に届くのには時間がかかっているというケースがほとんどです。

大きな地震や洪水などが発生した「被災地域」では、道路や鉄道などの輸送手段に問題が発生していて、他の地域から孤立してしまっていることが考えられます。
また、輸送手段が問題なく使えたとしても、支援物資の集積所で届いた荷物を下ろし、仕分けし、さらにその先の避難所へ輸送する手配を担当する職員の方たちもまた被災していて、集積所(倉庫など)に寄せられた支援物資が滞ってしまっている場合もあります。

被災地に「ものがない」のではなく、「ものが届けられない・届いていない」ケースがほとんどなのです。

そのような状況の中で、「善意」という思いだけで、個人や小規模な団体が被災地に支援物資を送ってしまえば、さらに状況を悪化させることになります。本来、配送されるべき物資を輸送する交通にも支障をきたしたり、集積所には必要とされている物資もそうではない物資も混同して停滞してしまうことになります。被災地で必要とされているもの、不足しているものは、刻々と変わります。個人や小規模団体などの「非公式」な支援物資は、場合によっては後々ゴミになり、「処分する」という大きな負担を与えてしまうことにもなります。

支援物資による「第二の災害」

「第二の災害」という言葉があります。これは、大きな災害が発生した時に、救援物資が、被災した地域に届けられながら、実際には使われることなく、保管費用や処分費用などが発生するなど、被災した地域の自治体の予算を圧迫したり、余計な混乱を招くことなどをいいます。
被災地のニーズや輸送手段、保管場所や「どのように必要な人にゆき渡らせるのか」などの現実的なことを考えないまま、感情によって個人やNPO、企業などから送られた支援物資によって、これまでの災害でもたびたびもたらされてきました。

この問題が認識されるようになったのは、1993年に発生した北海道南西沖地震の時でした。津波や火災も発生したこの震災では、多くの支援物資が個人やNPO、企業などから寄せられました。特に、一般家庭から寄せられた支援物資は、1つの段ボールに古着や食器、食料品などが収められていて、全国から駆けつけた多くのボランティアが、物資の整理・仕分け・配分の作業に携わりました。しかし、食料などは腐ってしまったり、あまりにも膨大な量の古着などは使われることのないまま処分されることとなりました。不要になって焼却処分された量は、衣類だけで約1,200トン。自治体の負担した処分費用は、約1億2,000万円にも及びました。

1995年に発生した阪神・淡路大震災でも、不特定多数の救援物資が、不特定の被災者宛に、約100万個。短期間で大量に集まりすぎ、受取手となった自治体も受け取る体制や保管場所などがなかったため、仕分けも配布もできない状態だったといいます。

2004年に発生した新潟県中越地震では、渋滞を避けて夜に到着することの多かった物資の積み下ろしを、深夜に市の職員が中心となって行わなければなりませんでした。新潟県長岡市では、約4万7,000件、4,500トンの物資が届き、翌年の夏になっても、倉庫に大量の物資が残ることとなりました。集積所に収まりきれなかった分の保管場所の家賃や、引き取り手のいなかった物資の廃棄費用は、すべて被災地が負担しなければなりませんでした。また、無料で物資を配布し続けることは、復旧・復興した地元の商店の営業妨害にもつながる恐れがあることを、この時に指摘されています。

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