●たったひと言が、多忙な家族の絆をつなぐ
子どもがもう少し大きくなると、秋篠宮家では、「一人前の人」として扱うことを大事にする。
秋篠宮家創設から取材を続ける高清水有子さんは、こう話す。
「どんなに忙しくとも、子どもからの問いかけは聞き流すことはなさらない。両殿下もわからない内容であれば、数分でも時間を見つけて一緒に本をお調べになるのです。お子さま方と一生懸命に、向き合っていらっしゃいます」
こうした幼い頃から子どもと築く信頼関係は、のちに大きな実を結ぶことになる。
佳子さま(22)が、父親の秋篠宮さま(51)との喧嘩を告白した、2015年の誕生日会見をご記憶の人もいるだろう。
「短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」
同じ時期、母娘の戦いも漏れ聞こえた。20歳前後の娘を持つ母親ともなれば心配も尽きないのだろう。紀子さまが服装や生活の様子について、たしなめると佳子さまは、「うるさい!」、「放っておいて」といった内容の言葉をぶつけて反発したという。
どこの家庭にも見られるありふれた光景である。紀子さまは多忙だ。皇族の公務にご自身の研究や児童書の翻訳、秋篠宮家の女主人として20人もの職員を切り盛りして3人の母業を続けている。ときにはすれ違いもあるだろう。それでも佳子さまは、母の紀子さまに深い愛情を示している。たとえば16年1月に皇居・宮殿で催された「歌会始の儀」。ここで披露された佳子さまの和歌である。
弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる
ふとした日常を紡いだ和歌は、母と弟への愛情にあふれ、家族がゆるぎない信頼で結ばれていることが伝わる。
家族の絆を紡ぐ鍵は何か。佳子さまは同じ20歳の会見で、答えに触れている。
「幼い頃は(紀子さまが)手紙にスマイルの絵を描いてくれたことが、よく印象に残っております」
秋篠宮家において、手紙は重要なコミュニケーションツールであるようだ。
「カードやお手紙を、ご家族で贈り合う。それはお子さまが誕生する前からご夫妻の習慣だと伺っています。幼い頃、眞子さまと佳子さまは、公務で遅く帰宅するご両親へ、『お仕事お疲れさま』と書いた手紙や絵のプレゼントを用意されました」(高清水さん)
忙しくとも、工夫を重ねて家族の交流を図るご夫妻。子どもに対する誠実な姿勢が家族の信頼をつないでいるのだろう。
●子どもが「職業」と人生観を学べる絶好の機会とは?
秋篠宮ご夫妻は、両陛下と過ごす時間を大切にしている。
両陛下も、秋篠宮家の子どもが小さい頃は、葉山御用邸(神奈川県)などの滞在先に、たびたび秋篠宮家を招いていた。天皇陛下の心臓が悪くなる前は、葉山の海で、昭和天皇が愛用した和船に悠仁さまを乗せて、自ら櫓を漕ぐ姿も見られた。
それは大勢の人に仕えられ、指示を与える天皇、皇后としての祖父母の姿を、孫の悠仁さまが直に目にする時間でもある。皇室という日本一の旧家が守ってきた伝統や「職業」のあり方を、学ぶ貴重な機会なのだ。
世代を越えた学びの一端は2011年。東日本大震災の直後に表れた。両陛下は、被災者のために、那須御用邸(栃木県)内にある職員用風呂の解放を決めた。お手伝いをしたのは、やはり秋篠宮家。宮内庁職員がタオルを持ち寄り、紀子さまと眞子さま、佳子さまはタオルの袋詰め作業に参加した。その年の夏休み。眞子さまは岩手、宮城県を被災地支援ボランティアの一員として訪れ、子どもたちの勉強を手伝った。自分の目で、人びとの痛みを理解しようと試みたのだ。
両陛下は、災害直後から7週連続で被災地や避難所に足を運び、被災者に声をかけ続けた。秋篠宮家のお子さま方は、「おじいちゃん」「おばあちゃん」である両陛下の姿を通して、「天皇家」の人間としてどうあるべきか。それを、しっかりと学んでいる。
(取材/文・永井貴子)