「もう4度目は絶対にない」 選択的夫婦別姓求める「思い」受け継ぐ、第三次訴訟への覚悟

「もう4度目は絶対にない」 選択的夫婦別姓求める「思い」受け継ぐ、第三次訴訟への覚悟

選択的夫婦別姓を求める人たちの戦いは、半世紀近くにわたる。

1970年代から夫婦別姓制度を実現しようという議論が活発化し、1996年には法制審議会も制度導入の指針を示して一時は実現するかのように見えた。しかし、与党・自民党の反対にあい、法案が提出されることはなかった。

そこで、2011年に第一次夫婦別姓訴訟と呼ばれる裁判が始まった。しかし、最高裁は2015年、原告らの訴えを退けた。3年後、第二次夫婦別姓訴訟が提起された。この裁判でも2022年、最高裁は原告らの主張を認めることはなかった。

しかし、今、三の矢が放たれようとしている。第三次夫婦別姓訴訟が今年3月8日に東京地裁と札幌地裁で提訴されることになったのだ。

「もう4度目の訴訟は絶対にないと思っています」というのは、東京訴訟の原告の一人、団体職員の上田めぐみさん(46歳)だ。上田さんはなぜ選択的夫婦別姓を求めるのか、取材した。(弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)

⚫︎高校の先生が後悔していた「改姓」

上田さんが選択的夫婦別姓について興味を持ったのは、中学生のころだったという。

「ちょうど選択的夫婦別姓の議論で盛り上がっていた時期でした。メディアでよく取り上げられていたのを見て、たしかに女性ばかり姓を変えるのはおかしいなと思っていました」

高校生になると、家庭科の女性教師が選択的夫婦別姓について語ってくれた。

「先生は結婚するときに改姓したくなかったのに、周囲の圧力に負けて改姓せざるを得なかった、すごく後悔していると話してくださったんです」

その切実な声に、上田さんは中学のときに抱いた夫婦同姓への違和感を「間違っていなかった」と確信したという。

立命館大学に進学して、事実婚の研究をしていた二宮周平教授(現在は名誉教授)の門戸を叩いた。

「そこでは、ジェンダーと家族法について学び、夫婦同姓は人権侵害だとあらためて思いました」

⚫︎海外で働く女性を困らせる「併記」

卒業後は、イギリスの大学院で学び、フランス留学を経て、JICAや日本赤十字社などに勤め、南米やアフリカで働いてきたという。現在も、国際協力分野で途上国の人材育成を支援する機関の職員だ。海外から日本の状況はどのように見えていたのだろうか。

「海外で夫婦別姓について話題になることはほとんどありませんでした。あたりまえのことで、話題にならなかったんだろうなと思います。しかし、日本の歪さはすごく感じるようになりました。日本は経済的には先進国ですが、ジェンダー平等という視点からみれば、途上国のように思えました」

第一次訴訟で、最高裁判決は、旧姓を通称として使用することが広まれば、「夫婦同姓の不利益は緩和され得る」とした。日本政府も併記を推進してきた。

しかし、上田さんの周りでは、海外で働く女性が、公的な書類に戸籍名と通称名を併記することで、確認の手間がかかるなど、相当な負担がかかっていたという。

「併記によって困っている人はすごく多くて、女性活躍というのであれば、結婚前の名字のままで働かせてほしいという話をよく聞きました」

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