死刑判決後に末期がんで死去、獄中結婚した妻が語る“夫の最期”「無縁仏になりたくない」「痛いとは言わなかった」

死刑判決後に末期がんで死去、獄中結婚した妻が語る“夫の最期”「無縁仏になりたくない」「痛いとは言わなかった」

「広志くんの遺骨は、名古屋の教会で納骨堂に埋葬してもらいました。私は分骨してもらい、そのお骨は家に置いています。広志くんは生前、『無縁仏になりたくない』と言っていたので、本人にとっても良かったと思います」

1月某日、私の取材に応じてくれた女性は淡々とそう話した。女性は、山田睦子さん(48歳)。彼女が「広志くん」と呼ぶ人物は、2017年に名古屋市で起きた夫婦殺害事件で死刑判決を受け、昨年(2023年)12月、がんで死亡した山田(旧姓・松井)広志被告人(当時49歳)のことだ。

山田被告人は死亡時、名古屋高裁に控訴中だったが、睦子さんはその半年前、同被告人と獄中婚し、妻として支えていた。死刑判決を受けながら、裁判中に病死するという異例の最期を遂げた山田被告人はどんな人物で、獄中でどのように人生を終えたのか。睦子さんに聞いた。(ノンフィクシィンライター・片岡健)

●余命宣告後に結婚した理由は「被害者の冥福を祈ってもらうため」

まずは一応、山田被告人の裁判の経緯を整理しておく。

名古屋市で生活保護を受給して暮らしていた山田被告人は、2017年3月、近所の80代夫婦宅に押し入って夫婦を刺殺、お金の入った財布を盗んだとして強盗殺人罪で起訴された。しかし裁判では、強盗目的の犯行だったことを否定。

「パチンコで負けた帰り道に被害者から『仕事もしてないのにいいご身分ね』と言われ、怒りを覚えて犯行に及んだ。財布を持ち去ったのは、被害者らを殺害後にテーブル上の財布が目にとまり、逃走資金になると考えたからだ」などと主張し、強盗殺人罪が成立するか否かが最大の争点となった。

一審・名古屋地裁は、山田被告人の主張は否定できないとして、強盗殺人罪の成立を認めず、殺人罪と窃盗罪を適用し、無期懲役判決(求刑は死刑)を宣告。しかし、二審・名古屋高裁が強盗殺人罪を適用しなかった一審判決は事実誤認があるとして審理を一審に差し戻す。そして山田被告人は昨年3月、名古屋地裁での二度目の一審で死刑判決を受けた。

もっとも、山田被告人は前年(2022年)2月に膵臓がんが発覚し、余命宣告を受けており、死刑を執行されるまで生きていられないだろうとみられていた。

そんな山田被告人と結婚した理由について、睦子さんはこう話す。

「広志くんが被害者の人たちの冥福を祈るためにも、私が結婚することで広志くんが冷静でいられる時間を増やしてあげたいと考えたんです」

実際、山田被告人が亡くなる少し前に睦子さんにあてた手紙を見せてもらうと、睦子さんが面会に来るのを心待ちにしている様子が窺える記述が散見される。死期が迫っていた山田被告人にとって、睦子さんが心の支えだったのは間違いない。

●山田被告人は控訴していたが、死刑判決自体は受け入れていた

では、そもそも、睦子さんはどのように山田被告人と知り合ったのか。

その経緯は少々ややこしい。実は睦子さん自身も昨年3月まで窃盗罪で服役しており(本人は冤罪を主張)、その服役中に山田被告人とは別の男性獄中者と結婚していた。山田被告人はその男性獄中者と養子縁組して養子になっており、睦子さんはその縁で山田被告人と知り合ったという。

その男性獄中者は、2015年発生の寝屋川市中1男女殺害事件の犯人、溝上(旧姓・山田)浩二死刑囚。睦子さんによると、獄中生活での辛い思いを紛らわせるため、雑誌で見かけた溝上死刑囚(※当時は裁判中で、死刑は確定していなかった)に手紙を出したところ、文通がスタート。

文通を重ねる中、同死刑囚から結婚を申し込まれ、「社会に相手にされていない境遇が自分と似ていて、放っておけない」と思って結婚したが、溝上死刑囚は獄中で不平不満ばかり言い、罪を反省していない様子だったことなどから心が離れたという。

そんな時、溝上死刑囚を介し、文通する仲になっていた山田被告人から、「浩二(溝上死刑囚のこと)と別れて、俺と結婚して欲しい」と頼まれたそうだ。

睦子さんはこう話す。

「広志くんは、死刑判決を受けて控訴していましたが、死刑が不満だったわけではありません。裁判で金目的の犯行だと認定されたことが納得できず、『俺は感情的になるし、弱い人間だ。でも、命の大切さを知っているから、お金のためになんか殺していない』と主張していたんです。死刑判決自体は受け入れていて、そこが浩二と違うところでした」

睦子さんは、服役中に溝上死刑囚と離婚。昨年3月に刑期を終えて出所後、当時は名古屋拘置所に収容されていた山田被告人と面会し、「死ぬ時は自分ではなく、被害者に手を合わせて欲しい」と告げ、結婚を承諾したという。

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