笠井アナ「死んでも悔いはない」悪性リンパ腫と闘った地獄の2週間【闘病】

笠井アナ「死んでも悔いはない」悪性リンパ腫と闘った地獄の2週間【闘病】

「悪性リンパ腫」が治る可能性の高いがんであることは、あまり知られていません。
「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という悪性リンパ腫を告知された4年前の笠井信輔さん。現在は「乗り越えやすいがん」と言われている悪性リンパ腫の初期症状から宣告、生放送での公表や闘病中のSNS発信など、笠井さんの思いを血液学部門教授の神田善伸先生と語っていただきました。

笠井 信輔さん(フリーアナウンサー)

1987年、フジテレビに入社し、1999年より『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会兼メインアシスタントを務める。2019年9月末日に退社しフリーアナウンサーとなったが、同年12月、悪性リンパ腫に罹患していることを所属事務所を通じて公表。病状や闘病生活について綴ったSNSが大きな反響を呼ぶ。

監修医師:
神田 善伸(医師)

自治医科大学内科学講座血液学部門教授。1991年東京大学医学部を卒業し同年、同大病院内科研修医となる。JR東京総合病院、都立駒込病院、国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)、国立がんセンター中央病院などを経て、2007年より現職。エビデンスに基づく診療とともに、数多くの臨床研究を推進している。著書に『血液病レジデントマニュアル』(医学書院)、『造血幹細胞移植診療実践マニュアル』(南江堂)、「EZRでやさしく学ぶ統計学」(中外医学社)などがある。医学博士。

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「生きて闘っている」症状がわかりにくい悪性リンパ腫とは

神田先生

闘病から4年とのことですが、現在のお身体の状態を教えてください。

笠井さん

絶好調です!「前よりも若くなったね」と言われます。
現在は投薬や治療も行なっておらず、3ヵ月毎に再発がないか検査してもらっています。

神田先生

病気をされる前よりもむしろ元気になったということですね?

笠井さん

病気になる前は朝の情報番組をやっていたので、12時に寝て3時に起きる生活をずっと続けていましたからね。その頃よりもずっと健康的な生活を送っています。

神田先生

笠井さんが罹患された「悪性リンパ腫」は非常にわかりにくい病気ですよね。血液の細胞のがんですが、首や鼠径部などの体の表面に近いリンパ節が腫れる方もいる一方で、自覚症状は発熱だけという方もいます。
胃がんや肺がんなどと違って切除ができず、全身に広がりやすいという特徴がありますが、抗がん剤の効果が高く完治を目指すことができます。笠井さんは、どのような症状から始まったのですか?

笠井さん

最初は排尿障害でした。トイレ無しでは2時間ももたず、排尿時には痛みが生じるようになり、すぐにがんとわかりました。ずっと一緒に『とくダネ!』をやっていた小倉智昭さんが、1年前に膀胱がんと診断されていたからです。すぐに受診したところ、2つの病院から「がんではない。前立腺肥大ですね」と言われ治療を始めましたが、2ヵ月経っても症状は良くならず悪くなる一方でした。再検査をしたところ「何のがんかは分からないけれど、がんです」と言われ、悪性リンパ腫と診断されるまでは、さらに1ヵ月半かかりました。

神田先生

がんだと聞いてどのように感じられましたか?

笠井さん

「がんではないって言っていたじゃないか!」と感じました。しかし、先生からは「1人目、2人目の先生を恨んではいけません。悪性リンパ腫とはそういうものです」と言われましたね。

神田先生

悪性リンパ腫は症状が多岐にわたるので、ほかの科からまわってくる方が多いですね。

笠井さん

自分はなんて不運なのか……とも思いました。ただ、患者会などで話を聞くと「がんだとわかってホッとした」という方もいます。原因がわかって、戦うべき敵がハッキリしたと。私も治療方針が明確になりましたし、がんと見つけてくれた先生なので感謝しています。ただ文書での告知だったので、自分の気持ちをぶつける相手がいませんでした。

神田先生

文書での告知だったのですか?

笠井さん

私が多忙で主治医とスケジュールが合わず、ほかの先生から「診断名・悪性リンパ腫」と書いてある文書を渡されたのです。口頭での告知であっても不満に思っている方は多いようですね。診療中に「ああ、これはがんですね」とサラッと言われて頭にきた、とか。われわれ昭和患者は「がん告知」と言えば、個室に呼ばれ家族が勢揃いして……というイメージなので、軽く言われると少し違和感がありましたが、最近は重々しく告知しない傾向にあるようですね。

神田先生

がんの種類にもよりますが、一般的にはそういう傾向にあると思います。ただ、「あの方は相当落ち込むだろうな」「この方は前向きに戦ってくれそうだな」などと、患者さんの反応を予測して告知の方法を考えたり、相手の表情を見ながら言い回しを少し変えたりするなどしています。

笠井さん

アナウンサーのインタビューと同じですね。

神田先生

あとは、夕方以降にはなるべく告知しないようにしています。告知を受けた後に夜を迎えると、どうしても気持ちが落ち込んでしまいますし、夜は1人の時間も増えますので、そこは考えていますね。

笠井さん

確かに……あっさり言われるのも嫌ですが、先生が重々しく話すと「ああ、自分はもうダメなのか」と思ってしまいますね。不思議な感覚ですね。

神田先生

リンパ腫は治る可能性の高いがんですから、告知もそれを前提とした話し方になります。

笠井さん

そこも医療者と患者のギャップだと思います。ほとんどの方は、悪性リンパ腫が「乗り越えやすいがん」とは知りません。肺がんや胃がんよりも複雑な感じがするじゃないですか。私なんて「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と言われて病名が長いから助からないと思いました(笑)。

神田先生

告知を受けた後、どうされましたか?

笠井さん

入院までの時期が最悪でした。確定診断を受けすぐに入院と言われたのですが、2週間後に『徹子の部屋』の収録があり、これはどうしても出たかったのです。場合によっては死ぬと思っていたので「徹子の部屋に呼ばれる人物・笠井信輔」として世の中から退場したいという思いがありました。フリーになってこれから羽ばたいていこうという時に、その羽をもがれた気持ちでした。

神田先生

その2週間は、どのような思いでしたか?

笠井さん

1日も休まず働きました。この2週間が本当に地獄でしたね。痛み止めがないと立っていることもできないほどでした。今考えると、あの時の自分が一番「生きて闘っている」と感じました。主治医の指示に従わず、自分の意思で動いていた責任もありました。でも、今は患者側が治療を選択する時代ですよね?

神田先生

そうですね。私たちは選択肢を提示しますが、最終的に選んでいただくのは患者さんということになります。
できるだけ生存率の長い治療法を望むか、生存率が少し下がってもQOLが高く生きられる方法を選ぶかなど、ご本人の人生観によって違ってきますので。私たちはその選択のために必要な情報を提供し、一緒に考えていきます。

笠井さん

双方向のコミュニケーションによって治療方針を決めていくのですね。
がん患者の4割が仕事をしながら通院していると聞きました。仕事を優先したほうが良いとはもちろん言いませんが、私は結果的にこの選択をして良かったと思っています。ものすごく生きていると実感があり「これだったら死んでも悔いはない」と感じた時期でもありました。

神田先生

ご自身の病気を生放送で公表されたのはなぜですか?

笠井さん

ワイドショーを30年やってきた中で、たくさんの方のプライバシーを暴いてきました。
そんな私がいざ病気になり「自分のプライバシーに関わることなので」というのはバランスが取れないと思いました……贖罪ですね。罪滅ぼしという意味ですべてを語ろうと決めました。病名だけでなく「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という型まで公表したのは、そういった思いからです。

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