噴出するロースクール失敗論、京大・曽我部教授が「それでも良い影響があった」と語る理由

噴出するロースクール失敗論、京大・曽我部教授が「それでも良い影響があった」と語る理由

京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授は、一連の司法試験改革に関し、行政法の必修化や法科大学院(ロースクール)での教育などが行政訴訟や憲法訴訟の実務の質を高める効果を生んだという。詳しい理由を聞いてみた。(ライター・山口栄二)

●行政法訴訟、憲法訴訟の活性化につながった

——最近、X(旧ツイッター)に「少なくとも憲法学(のみならず、行政法を含む公法学)にインパクト大でした。行政法必修化は行政訴訟(ひいては憲法訴訟)実務の水準向上に顕著な貢献があった」と投稿されましたが、その真意は?

旧司法試験の時代には行政法は選択科目で、私自身は行政法選択でしたが、全体としてはマイナーな科目でしたから、法曹の大部分は行政法をきちんと勉強していなかったと言っていいと思います。

ところが、新司法試験で必修科目になったので、ロースクールではすべての学生が行政法を学ぶことになりました。

そのため試験をきっかけに行政法に興味を持つ法曹が増えたこと、さらに行政法の研究者の側も教育により力を入れるようになって工夫された教科書も出されるようになったこと、さらに同じ時期に行われた行政事件訴訟法改正によって行政訴訟の間口が広がったことなども相まって、専門外なので印象論にはなりますが、訴訟における当事者の主張の質が高まり、判決も緻密になっているのではないでしょうか。

そのことは憲法訴訟にも波及しました。憲法訴訟は行政訴訟として争われることも多いので、行政訴訟の活性化は憲法訴訟の活性化にもつながりました。また、憲法訴訟の活性化といえば、法科大学院ができたことにより、憲法の研究教育の在り方も大きく変わり、それも活性化につながっていると思います。

——それは具体的にはどのようなものでしょうか。

ロースクールの開設は憲法学にも大きな影響がありました。法科大学院では、判例をしっかり教えなければならなくなったため、学説がそれ以前のように外在的に判例を批判するのではなく、判例を内在的に分析したうえで議論するように姿勢が変わってきたように感じます。その結果、判例と学説との対話ができるようになってきたと感じます。

●度重なる制度変更は「やむを得ない」

――司法試験もこの間、予備試験制度が創設されたり、ロースクール在学中の受験ができるようになったり、5年で5回という受験回数制限が設けられるなどの変更が加えられましたが、これらの点についてはどのように評価されますか。

当初の制度設計で理念に走りすぎた面、あるいは逆に妥協の産物的な側面もあるので、様々な試行錯誤をするのはやむを得ないことです。しかも基本的に受験生にとって不利益な変更ではないので、変更の影響はそれほど深刻ではないのではないでしょうか。

―—回数制限そのものは不利益ではないですか。

旧司法試験の時代には、10年とか20年も司法試験の受験をしている人がいました。少なくとも、現在のような司法試験の合格難易度のもとでは、一定の回数制限を設けることで、本人が身の振り方を考え直すチャンスになると思います。

―—在学中受験はどうですか。

在学中受験はいろんな意味でよかった点が多いと思います。受験勉強の期間が短くなるからです。最終年次の7月に試験を受けた後は受験科目と関係のない科目を取れるので、法科大学院の理念に即した学修ができる期間となりえます。他方で、合格者と混ざり合って半年間過ごすのは、不合格者にはつらいです。

―—司法試験の後は気が抜けた消化試合のような感じであまり勉強しなくなるという説もありますが。

受験勉強のような緊張感がないのは事実でしょうが、じっくりと多様な科目に取り組めるとも言えます。また、単位は取得して修了しなければならないので、遊んでいればよいというわけではありません。

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