「私の幸せは人を助けること」 来日33年のエリザベスさん、異国の地で「難民申請者」らの心支え

「私の幸せは人を助けること」 来日33年のエリザベスさん、異国の地で「難民申請者」らの心支え

●東日本大震災 牛久収容中に被災した

仮放免者や難民申請者にエリザベスさんがここまで深くコミットするのは、彼女自身が2011年、そして2016~2017年にかけて、それぞれ10カ月ずつ、品川と牛久に収容された経験があるからだ。

「入管に収容されると、みんなつらくて泣くし、自分も1回目に収容されてすぐは泣いていた。だけど、収容中に入管のことをいろいろ勉強したから。入管のやり方がわかるようになったから、今はもう何も怖くないよ」

2011年に収容されたエリザベスさんは本人いわく”入管職員に屈することなく闘った”ことで、品川から牛久に移送された。東日本大震災を牛久で被災した彼女は当時のことをこう振り返る。

「そのとき私が収容されていたのは大部屋で、ベトナム、中国、フィリピン、ミャンマー、タイ、トルコ……いろんな国の人が14人くらいいて。すごく揺れて、怖がって泣いている収容者に『みんなも自分の神様がいるでしょう、神様がいるから大丈夫!』と言って、手を取り合って、みんなを落ち着かせた。

窓ガラス越しに部屋の外を見たら、怖がって泣いている職員の姿も見えたから、『ほら、私たちガイジンだけじゃないよ、日本人も怖がって泣いているよ。大丈夫、神様がいるから』と励まして。本当にあれはドラマみたいだったな」

その日はたまたまエリザベスさんの代理人をつとめる指宿昭一弁護士が面会に来ていたそうで、地震の影響でタクシーを捕まえることができなかった指宿弁護士も、JR牛久駅まで数キロを歩いたという。

●食事は1日1度 仮放免者に余裕はない

以前から入管収容施設や刑務所に足を運んでいたものの、身をもって、自由を奪われることのつらさを経験してきたエリザベスさんは、それまで以上に面会活動に力を注ぐようになった。

収容されたばかりの人と収容が長期に及ぶ人では、必要とする支援の内容が異なる。エリザベスさんは一人ひとりが今、何を必要としているかを聞き出して、その先へとつないでいく。

仮放免や難民申請について弁護士に相談する。新たに収容された人に面会をしてあげてほしいと支援者・団体に伝える。中にいる彼、彼女たちが必要とする日用品を手配する。医療や住居のことで行政にかけ合う――。

改定入管法が施行されて、「監理人制度」が導入される今年6月以降の運用がどうなるか、入管はまだ詳細を発表していないが、現在、仮放免申請には保証人と、収容を解かれたあとに滞在する住所が必要だ。

だが、危険を逃れて来日したものの入国を認められず、空港から収容施設に送還された難民申請者の場合、日本に知人がいることは決して多くない。仮にいたとしても、同居させてくれるかどうかは、別の話だ。

エリザベスさんは、こうした行く先のない人たちを自宅に迎え入れている。仮放免の人たちにとって、自分を受け入れてくれる彼女の存在は、文字通り「救い」となっている。

人のために何ができるか。いつもそればかり考えているエリザベスさんは、自分のことは後回しにしがちだ。

同行中、昼を迎えたので、昼食はいつもどうしているのかと尋ねると、エリザベスさんは「昼は食べない。仮放免者には、そんな余裕はないから」と言って、こう続けた。

「食事は1日1回、夜、食べるだけ。なのに太っている(笑)。やっぱりストレスがあるのかな」

(取材・文/塚田恭子)

【プロフィール】オブエザ・エリザベス・アルオリウォ

1967年ナイジェリア南東部ビアフラに生まれる。アフリカに残る伝統的慣習のFGMを逃れて14歳で家を離れる。ナイジェリア国内を転々とした後、1991年、24歳のときに来日。工場やクリーニング店などで仕事をする。1998年頃から受刑者への面会・支援を始める。2019年に多田謡子反権力人権賞を、また2021年に日本平和学会平和賞、2022年にOodua Progressive Union Japanから人道的奉仕賞を贈られている。

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