一番の問題は優柔不断なボンボンのエイスケ
笠置とエイスケは正式に結婚できておらず、エイスケが亡くなる前にエイ子は生まれなかったので、彼から認知を受けることもできませんでしたが、それは当時の世の中ではかなりのダメージでした。
ドラマでは、愛助の母・村山トミ(小雪さん)は、頑迷なまでに理想の家族像にこだわり、歌手を続ける限り、絶対にスズ子との結婚には認めないという立場を貫き、ドラマでは「悪役」だったように思われます。
しかし、笠置の自伝を読む限り、一番の問題はむしろ優柔不断なボンボンのエイスケで、彼のせいでしなくてもいいような思いまで笠置がさせられてしまったことが行間から読み取れるのですね。
エイスケが病気がちな高齢の母親に、笠置との結婚などについて直談判しづらかったのはわかりますが、少なくとも母親にカミングアウトだけでもしていればよかったのではないか……と思ってしまいます。史実の吉本せいは、ドラマの村山トミ以上に器が大きい女性だったようですから。
笠置の覚悟を尊重した、吉本せい
笠置の自伝によると、吉本せいが、エイスケの忘れ形見の娘・エイ子の存在を把握できたのは息子の死後だったようです。吉本せいは自分の体調が良くなると、すぐに東京まで笠置とエイ子を訪ねてきました。
当時、笠置は世田谷・松陰神社前の一軒家に住んでいましたが、これは笠置との結婚を母親に認めてさせると言っていたエイスケの言葉を信じ、彼との新婚生活のために、笠置が銀行から金を借りて購入した大切な家でした。
吉本せいは、初対面の笠置に対し「エイスケがえろう、お世話になりまして……」と「丁寧に」頭を下げました。彼女の「度量もあり、情けもあり、行き届いたお人柄」に笠置は感じ入ったそうです。
ドラマでは、トミからスズ子に「生まれた子を村山家の養子にしたい」という直球の申し出がありましたが、史実では、笠置がエイ子を育てながらステージに立つのは大変だろうという理由で、さりげなく「わてが預かってもあげてもよろしいがな」とほのめかす程度だったようですね。
その後、笠置はエイ子を自分の戸籍にいれて「亀井エイ子」にしましたが、それも吉本せいは黙認したので、シングルマザーとしてエイ子を自力で育てたいという笠置の「覚悟」を尊重したことがわかります。
あるいはいくらエイスケが肺結核に苦しんでいたとはいえ、笠置とエイ子のことで、彼の対応に不十分な部分があったことは事実なので、吉本せいとしても、エイ子を吉本家の戸籍にいれることまでは強くは望めなかったという部分もあるかもしれませんね。
『ブギウギ』がなければ、筆者が笠置シズ子の自伝『歌う自画像』を読むことはなかった気がしますが、戦中・戦後の日本で、女性が自由に生きることの難しさが語られた貴重な書物だと感じました。
配信: サイゾーウーマン
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