【闘病】『検診へ行った自分を褒めたい』海外在住で“乳がん”を早期発見。「死」を感じて変わった人生観

【闘病】『検診へ行った自分を褒めたい』海外在住で“乳がん”を早期発見。「死」を感じて変わった人生観

日本では、「乳がん」は9人に1人が罹患するとも言われ、40歳以降になると定期検診の案内が届きます。今回お話を聞いた加藤さんは、日本と医療制度の違う海外・オーストラリアに在住。自発的に乳がん検診を受けたところステージ0の乳がん(DCIS)が発覚しました。そこで、慣れない病院探しや手術、術後に感じた思いをもとに個人でライフスタイルを発信しているYouTubeにて「乳がん闘病の最初から最後まで」をリアルタイムで撮影した動画を投稿しています。「検診を受けに行った自分を褒めたい」という感情の背景には何があるのでしょうか。詳しくお話をお聞きしました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年1月取材。

体験者プロフィール:
加藤 未来

オーストラリア・メルボルン在住、夫と二人の子どもと暮らしている。普段は美容についてYouTubeで発信している。46歳の時に受けた乳がん検診で「ステージ0の乳がん(DCIS)」が発覚し、手術を受ける。(YouTube / Instagram)

記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

「まさか私が」何もないと思い受けた定期検診で「ステージ0の乳がん(DCIS)」と診断

編集部

はじめに、加藤さんの病気が発覚した時の経緯について教えてください。

加藤さん

私は今オーストラリアのメルボルンに住んでいるのですが、42歳の時に国が運営している乳がん検診に行き、マンモグラフィ検査を受診しました。日本では、40歳以降になれば定期的に乳がん検診に行くようハガキが届くと思いますが、オーストラリアでは全く違い、対象年齢は50歳以上と言われています。私の場合、当時46歳だったのですが日本で検診を受けてから一年以上経過していたこともあり、初めてオーストラリアで検診(マンモグラフィ検査)を受けました。それまでいわゆるしこりのような違和感は全くなかったのですが、「右乳房に石灰化したものが見つかった」と連絡が来たのが最初の経緯です。

編集部

国によって制度が違うという中で、自発的に受診されたのですね。その後の検査についても教えてください。

加藤さん

もう少し大きめの病院に移って検査をしました。再度マンモグラフィ検査と組織検査を一日がかりで受け、その後「非浸潤性乳管がん(DCIS)です」と医師から伝えられました。

編集部

診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?

加藤さん

私自身、自覚症状が全くなかったので「あなたはDCISです」と言われてもピンとこず、頭の整理ができませんでした……。医師から淡々と治療方法を告げられ、最悪の場合は乳房の切除が必要など言われても、どこか他人事のような気持ちでぼーっと聞いているだけでした。

編集部

先生のお話にはどなたか同席されましたか?

加藤さん

夫が同席していました。なので、医師との会話はほとんど夫がしていました。私があまりにもぼーっとしているので、医者から「ちゃんと話を聞いている?」と確認され、それでも答えられませんでした。

編集部

旦那様の反応はどうでしたか?

加藤さん

すごく冷静で落ち着いていました。普段、私は返事やリアクションが早いほうなのですが、その時はまったく動くことができず……それを見た夫は私のショックの大きさに気付いたのか、すごく冷静でいてくれました。「今からどういう風に動けばいいですか?」と淡々と聞いてくれていましたね。帰りのエレベーターの中で泣いてしまった時に「大丈夫だからね」と抱きしめてくれて、私のために気丈にふるまってくれたことに気付きました。

日本と海外の違いに困惑する日々…そんな中運命の医師との出会い

編集部

では、そこから具体的な治療について教えてください。

加藤さん

病院選びが一番大変で、オーストラリアは日本と制度が全く違います。まず、日本は乳がんになれば専門病院へ行き、そこに勤務する医師が担当医になると思います。一方、オーストラリアの場合は病気になるとまず総合病院(General Practice)に行き、診断書と紹介状を受け取る必要があります。そしてがんの場合は診断書を受け取ったら自分で医師を探さなければいけません。ネットの情報を見ても、医師の経験年数や費用、評判の記載もバラバラ。公立病院と私立病院で費用も変わりますし、決め手となる情報が不足していてかなり困りました。勘でピックアップして、先生に直接連絡する必要があります。

編集部

日本とはかなり違いますね。がんの告知を受けて気分も落ちている中での医師探しは辛かったのではと思います。

加藤さん

早く医師を決めたいという焦りの気持ちと、将来の自分の体がどうなるのか分からない中での作業はすごく辛いものでした。医師選びをする1週間はすごく不安でしたね。

※加藤さんのYouTubeより

編集部

それから、どのように先生を見つけられましたか?

加藤さん

私の場合、勘で2名の先生とアポを取り、そのうちの1人の医師とお話をした瞬間、運命を感じて「この人だ」となりました。アジア系の女性の医師で、私の話を親身に聞いてくれて、どんな些細な質問にも丁寧に回答するというところに信頼を感じました。あなたのがんのステージであれば、乳房を切除しなくても大丈夫かもしれないと言われ、この先生に身をゆだねようと決めました。

編集部

ちゃんと信頼できる先生と巡り合えて、本当によかったです。それからどのように治療が進みましたか?

加藤さん

先生に会った日に、「30日以内で手術をします」と言われました。オーストラリアではどんながんであっても30日以内に手術・処置を実施するそうです。私の場合の「乳がん」も同様で、とにかく手術までにやることがたくさんありました。レントゲン、超音波検査、MRI検査をそれぞれ自分で予約した違う病院で受診しなければいけなくて、すごく忙しかったことを覚えています。

編集部

手術後はいかがでしたか?

加藤さん

私の場合、手術の前にした組織検査でほとんどのDCISを取り切ってしまったそうです。なので、乳房の切除ではなくDCISの完全切除に留まり、そこまで大きな規模の手術にはなりませんでした。当日は全身麻酔での手術でしたが、半日後には退院というハードなスケジュールでした(笑)。

編集部

半日後に退院は驚きました。

加藤さん

当日はもうずっと寝ていました。麻酔が切れ始めてから翌日にかけては体が全く動かず、歩くだけで胸が痛いのでベッドにずっといる生活でしたね。1週間くらいはシャワーを浴びるだけでも痛くてずっと寝たきり。1週間が過ぎる頃には徐々に体調が戻ってきて、2週間を過ぎてからはワークアウト(軽い運動)ができるくらいに回復しました。

編集部

ワークアウト! すごいです。

加藤さん

家での軽いダンベルを使った運動ならできていましたね。1カ月後には正常運転になりました。

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