「今しかできないことを今やる」 来日10年で弁護士に…香港生まれ英国人、タム・ピーターの「司法試験突破」ストーリー

「今しかできないことを今やる」 来日10年で弁護士に…香港生まれ英国人、タム・ピーターの「司法試験突破」ストーリー

多様な背景を持つ法曹を送り出すべく創設されたロースクール(法科大学院)。開校20年が経ち苦戦している状況は否めないが、一方で「ロースクールがなければ弁護士になっていなかった」という人材を呼び込んだ”実績”が存在することもたしかだ。

イギリスから来日し、日本語を覚えることからはじめて10年かからず司法試験に合格したタム・ピーター弁護士もその一人だ。卒業したイギリスの大学では経営学を専攻。来日前、日本語を学んだことはなく、法律を体系的に勉強した経験もなかった。

ロースクールには未修者コースで入学したが中学校の授業で触れるレベルの日本国憲法の条文を聞いてもわからないところからスタートしたため、「日本の教育を受けたことのない私より純粋に未修の人はいなかったのでは」と振り返る。

そんなタム氏は、英語力を生かし、国内の企業法務だけでなく、外国企業とのクロスボーダー取引などで活躍しているが、なぜ敢えて日本のロースクールに進学し、法曹を目指したのか。本人に尋ねて返ってきたのは「意外な答え」だった。(ライター・望月悠木)

●「高校で教える英語の指導助手」として来日

タム氏は、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業後、鳥取県内の高校で英語を教える外国語指導助手(ALT)として来日した。

「イギリスには大学卒業後の1〜2年間にボランティアや留学などで社会体験を積むための猶予期間『ギャップイヤー』という制度があります。当時の私は就活して働くイメージができず、ギャップイヤーを利用しようと思っていました。

そんな折、日本全国の小中学校や高校で外国語やスポーツなどを教えるため、日本政府が地方自治体と協力して外国人の若者を日本に招待する事業『JETプログラム』の存在を耳にしました。

私は10歳まで香港(当時イギリス領)で暮らしていました。当時の香港では日本文化に接することが少なくなく、『ドラえもん』や『ドクター・スランプ』などアニメを観る機会があったこともあり、日本には元々親近感があったんです。JETプログラムを知ったときに日本への興味が再燃し、来日を決めました」

ギャップイヤー後にイギリスに戻ってコンサルティング系の会社で働くつもりでいたが、当初の予定より長い3年間もALTを続けた結果、もう少し日本語をマスターしたいと決意。上京して、日本語を勉強しながら翻訳会社で働き始めた。

●ロー進学の動機はただ一つ「今しかできないことは今やろう」

来日から4年程度で日本語能力検定で最も難しい1級にも合格し、日本語への自信を深めたタム氏は、今後のキャリアプランを考えていた頃、日本でロースクールが開校することを知った。

「イギリスに戻るか、アメリカに行くか。アメリカなら、後々ビジネススクールかロースクールに進学しようかななどと、ぼんやり考えている時期でした。

ALTとして英語を教えていた高校から東京にある大学の法学部に進学した教え子から『ピーター先生、最近、日本にもロースクールができたよ』と聞き、初めてその存在を知りました。しかも『司法試験の合格率は7〜8割になるらしい』と聞き、それはすごいと思いました。

自分の中で元々選択肢としてあったアメリカのロースクールなら、30〜40代になっても行けるかもしれない。でも、日本のロースクールは今進学しないとたぶん行かない。20代で1回日本から離れたら、30〜40代にロースクールへ進学するためには戻ってこないだろうな、とそのとき思ったんです。

今やらないと一生やらないんだとしたら、今しかできないことは今やろう。そう考えたのが、日本のロースクールに進学した理由です。

経営学専攻だったので、元々法律に興味があったというわけではなく、日本でのキャリアアップを考えて法曹を目指したわけでもない。本当にものすごくシンプルだったんです。今思い返すと『それってどうなの?』という感じですが(笑)、当時25歳でワクワク感のほうが強かったですね」

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