●発散できない加害者のストレスが、自分より弱い他者に攻撃、支配というカタチで向けられてしまう
「子どもたちは、もちろん幼いころからの教育のなかで“いじめはいけないこと”と理解していますし、これだけ社会問題化されているのですから、悪いこととはわかっています。わかっていてもやるんです。つまり、大人がいじめ問題と向き合うときに“いじめてはいけない!”と指導するだけではダメなのです。“なぜその子がいじめるのか?”に目を向けなければ、なんの解決にもならないのです」
そう話すのは、数々の学校問題に取り組んでいる白梅学園大学教授の増田修治先生。では、悪いとわかっていても、子どものいじめが増加する一方なのは、なぜなのか?
「悪いとわかっていてもいじめるということは、わかっていてもいじめざるをえないたくさんの状況が子どもたちを取り巻いているからなのです。つまり、子どもたちがなんらかのストレスを溜めているということなのです。人間は過度なストレスが溜まるとイライラ、ムカムカしますね。それを発散できる場所があればいいのですが、うまく発散できない場合、そのストレスの解消となるのが、他者、自分より弱い者を支配することなんですね。それが人間の心理なのです。大人のパワハラやセクハラも同じです」(増田先生 以下同)
●世の中が他者の痛みに対して鈍感になっている
では、子どもたちが抱えているストレスとは?
「昔は、家庭環境に問題がある子などが、ストレス発散のためにいじめをするケースが多かったんです。しかし、今は現代ならではのストレスが子どもたちを追い詰めています」
それは、“日本全体の価値観が単一化してきていること”にあると、増田先生は苦言を呈します。
「今は日本全体の価値観が“勉強ができなきゃいけない”“しっかりしてなきゃいけない”“自立していなきゃいけない”と、単一化されているんです。昔は、“〇〇ちゃんは勉強はできないけど、優しいね”とか、“〇〇ちゃんは運動は苦手だけど、絵は上手だね”とか、それぞれのいいところを尊重し、いろんな子が居ていい。という考え方が今よりありました」
そもそも、学校は“いろんな子がいるんだ”ということを学ぶ場所でもあったハズなのだが…。
「今は日本全体が強さや、しっかりした子ども、できる子ども…を求めているのです。学校だけでなく、塾でも順位をつけられ、順位が落ちれば叱られる…。大人がそういうプレッシャーをかけるなかで、当然子どもたちは思い通りにいかないこと、うまくいかないことが出てくるわけです。そういうところで、もどかしさやイライラが募る。そんなとき、自分より弱い子や少し不器用な子、変わった子などをターゲットにして“いじり”というカタチからいじめをはじめていくのです」
その“いじり”という名のいじめがだんだんエスカレートして歯止めがきかなくなり、気づけば被害者が自ら命を絶つところまで追い詰めてしまうことに。
「加害者の子は、いじめは悪いことと認識してやっていても、まさか被害者が自殺するとまでは思っていません。つまり、他者の痛みっていうものをイメージすらできないんですよ。世の中が他者の痛みに対して鈍感になっている証拠です。それは、子どもがあらゆるストレスを強いられていることに気づけない大人たちにも言えることです。これが今の子どものリアルな現状です」
つまり、いじめを見つけて“いじめちゃダメだよ!”と、表面的な指導をするだけではいじめは絶対になくならないのだ。
「いじめを見つけたとき、被害者のケアはもちろんですが、いじめる側がなぜいじめるのか? 加害者の子ともしっかり向き合って、彼らの心の闇を探って原因を取り除く努力をしない限り、いじめは増加し続けてしまうのです。根本的な解決はそこにあるのです」
“いじめ問題と真剣に向き合う”ということは、いじめをみつけて、そのいじめをやめさせることが終わりではなく、被害者、加害者の“子どもたちの心とも真剣に向き合う”ことなのですね。
(構成・文/横田裕美子)