●学校についていけない状態に…
「長女のYは1人っ子で4月生まれ。幼稚園の頃から体操やバレエ、ピアノと何をやらせてみても優秀でした。私が教師をしていてシングルマザーなので、小学校受験はさせず、地元の公立小学校に通わせていましたが、中学は絶対に有名な女子校に進学させたいと思っていました。進学塾に通い始めたのは小3の頃。最初は良かったのですが、私が彼女にいろんなものを求め過ぎていたのかもしれません」(Aさん 以下同)
優秀で塾も楽しんで通っているように見えたYちゃんに変化が見え始めたのは、小6の2学期の頃から。
「私は日々忙しく働いていましたし、塾は歩いてすぐのところにあったので、Yは学校から帰宅後、自分で準備をして塾に向かっていました。お弁当も作ることができないので、毎日コンビニで買わせていたことには抵抗がありましたが、私の前ではいつもいい子。でもこの頃、塾の先生から電話を頂き、“Yちゃんが、他の子の勉強を邪魔するような行動を起こすことがあります”と忠告されたことがありました。Yに聞いても“相手の子がウソを言っている”の一点張りなので、私は信じるしかありませんでしたが、今思えば、忙しい私に何も吐き出せず、相当なストレスを抱えていたのかなと思います」
教師として多忙を極めるAさんは、塾の面談も3度に1度くらいしか行くことができず、Yちゃんの成績もいまひとつよく把握していなかったという。
「面談では“今掲げている有名女子校への合格は厳しいので、もう少し偏差値が低い学校も考えて下さい”と言われましたが、“こんなに授業料を払っているのに? 娘の成績が上がらないのはあなた方の指導にも問題があるのではないですか?”と食ってかかってしまって…。娘の態度の悪さを指摘されたこともあり、塾が信じられなくなっていたんですね。模試の結果を見てYに“ちゃんと勉強しているの?”と問いただしても“本気を出していないだけ”と言い訳をする。当時の私は、100%娘の言葉を信じていました。受験まであと4カ月を切っていましたし、新たに個別指導塾にも通わせるようになりましたが、模擬試験の合否判定の結果は永遠に思わしくない状態。それでも私は、憧れの女子校への切符をあきらめられずにいました」
そうして迎えた2月の受験日。Yちゃんは第1、第2志望と不合格だったものの、滑り止めで受けた女子校に合格する。
「私の希望とはだいぶかけ離れていましたが、Yが“どうしても通いたい”というので、入学手続きを済ませ、春からは私立に通うようになりました。伸び伸びとした学校でしたが、駅からはスクールバスでしたし、山のなかにあるので、片道1時間半ほどかかるんですよね。Yは乗り物酔いするタイプでもあったので、そういう意味でも大変だったと思います。一応進学校なので、宿題も1学期から出されていましたし、部活もバレー部に入ってしまったので、当然ながら朝練もありました」
●娘はやがてお風呂にも入らなくなり…
朝5時半に家を出るYちゃんは、Aさんが帰宅する頃には、いつも爆睡。毎日のようにお菓子を食べ散らかしている状態だったという。次第にお風呂に入る気力すらなくなっていったとか…。
「中学に上がってからは、一気に反抗期に入って攻撃的になり、私が言うことはほとんど聞いてくれなくなりました。“疲れているのかな?”と思うことで納得しようとしましたが、あまりの態度の悪さに、何度か取っ組み合いのケンカになって、Yに噛みつかれたことも…。彼女が寝ている間に水を使わないシャンプーで髪の毛を洗ったり、もう生活はボロボロになっていました」
1年1学期の中間、期末テストの結果も悪く、面談では「いつも寝ているし、遅刻も多いので気を付けてください。友だちとのトラブルも多いです」と忠告されたそう。
「今思い返すと、すべてに無理がありました。受験時も、偏差値ばかりにとらわれず、受験校の距離や校風をもっと考えるべきだったと反省しましたし、娘ともっと正面から向き合っておけば良かった。Yは夏休みを機に部活の練習にも行かなくなり、ほとんど引きこもっている状態。毎日のように夜中まで起きては、昼過ぎまで寝ている生活を送り、2学期からは、予想通り不登校になってしまいました。私も長年勤めていた教師の仕事を辞める決意を固めました。今はとても後悔しています。学費に追われて働くような無理な生活を続けず、もっと早く決断してあげれば良かったと…」
塾の代表を務めながら、児童学を専攻している藤島氏は、こうアドバイスする。
「お母様だけでなく、Yちゃんもとてもおつらかったことでしょう。シングルマザー、ワーキングマザーだからこうなってしまった…ということはお考えにならなくて良いと思います。お母様のお子様への思いが、“求めすぎる子育て”に繋がってしまったのかもしれません。Yちゃんは今、心のエネルギーが空の状態です。そのエネルギーを貯めていくにはどうしたらよいのか…。とにかく“焦らない”ことです。現在のYちゃんの状態を理解し、まずお母様が変わろうとする気持ちを持ちましょう。そして本当に小さなことで良いので、Yちゃんが達成感を感じるものを始めてみて下さい。時間はかかるかもしれませんが、Yちゃんが少しずつでも成功体験を積むことで、きっと目標の再設定が出来るようになると思います」
わが子を思う気持ちが先走り、子どもの本来の姿を見失いかけていたAさんだが、Yちゃんが不登校になってしまったことで、わが身を振り返り、自身の子育てを悔い改めながら、今は2人の未来を模索しているという。時代は移り変わりつつあるものの、学歴社会という世のなかの歪みはなかなか改善されない日本。人間には、学歴よりももっともっと大切なものがあるということを、親も子も心得ておく必要がありそうだ。
(取材・文/吉富慶子)