中国の料理を知ることは“文化的背景”を知ること
小竹:将来の夢に中国のことが書いてあったと聞きましたが…。
酒徒:不思議なのですが、実家で小4のときの文集を見返したら、「将来、中国に行って豚の丸焼きを食べたい」って力強く書いてあったんです。おそらく、漫画やテレビでそういう場面を見て憧れたのでしょうけど、それを文集に書かなくてもいいのにと我ながら思いましたね。
小竹:中国には何度も行かれていますが、召し上がったのですか?
酒徒:大学4年のときに、豚の丸焼きの本場である広東省の広州に1人旅をしたのですが、その旅の目的が豚の丸焼きを食べに行くことでした。そういうのが日常的な地域なので、丸ごと1匹を頼まなくても1人前なり2人前なりを切って出してくれるお店が結構ある。だから、夢を叶えられて「なんていいところだ。いつか住みたい」と思ったのですが、その後本当に住めたのでびっくりです。
小竹:大学2年生のときにもまた中国に行ったそうですが、それは歴史の勉強のため?
酒徒:歴史はもう完全にどこかにいっちゃいました(笑)。1回目は北京に1~2週間くらいいたのですが、これだけ多様性のある料理だからもっと地方の味も知ってみたいと思い、いろいろなところに行こうと考えました。サークルの友達4人くらいで四川省の成都に入って、長江を下りながら上海までいろいろなところで食べつつというのを主目的とした旅でした。3~4週間かけて行ったと思います。
小竹:じゃあ、1年間は情報収集をしていた?
酒徒:当時はネットで調べられる時代ではないので、大学図書館で中華料理の本を見ていました。当時は本格的な麻辣が効いた四川料理は日本ではまだ食べられなかったので、面白そうでインパクトがある料理を食べてみたいということで、まず四川に行きました。三国志などの歴史的な史跡も残っているので、わずかに残った歴史への興味もミキシングした感じの旅行プランですね。
小竹:大学1年で衝撃を受けて、そこからもう完全に“中華料理脳”に変わってしまったのですか?
酒徒:わざわざお金をかけて3週間しか中国にいられないのだから3食全て中華で当然だろうという思いでしたが、その認識は共有できていないので喧嘩もしました。友達が「今日は久々にマックを食べたい」と言って「そんなの帰って食え」みたいな話になり、「じゃあ今日は別々に食事をしよう」って。友人より飯だって今でもそれはネタにされます(笑)。
小竹:麻婆豆腐発祥の地である四川に行ってみて、やはり違いましたか?
酒徒:今でこそ本格的な麻婆豆腐が中華料理屋で食べられますが、90年代の日本の大学生にとっては、あの痺れと辛さは完全に未知の味なんです。一口食べてみんな固まって、「残すのは申し訳ないよね」となって、じゃんけんをして負けた奴が1口食べるみたいな感じでした。隣では四川の人が1人でガシガシ食べているのに、1皿を4人でじゃんけんまでしてようやく食べきることに、僕としては敗北感がありましたね。これだけ興味を持って来たのに、1発目でおいしいとはならないんだと思って。
白油豆腐(四川式・豚ひき肉と豆腐の炒め煮)
小竹:うんうん。
酒徒:当時から食べたものをメモに書くという習慣を始めていたのですが、この間それを見返したら、「無念。本場の壁は厚い。いつかリベンジを…」みたいなことを書いていて、ちょっと笑ってしまいました。
小竹:そのリベンジはしたのですか?
酒徒:それからしばらくして中国に住むようになり、リベンジをするために4人のうちの1人も含めて、もう一度成都に行きました。同じ店に行って同じものを頼んで意気込んで食べたのですが、人は成長するもので「余裕だな。いけるな」って感じで。辛さは味覚というより痛覚なので、食べていれば慣れるんです。我々の9年間は無駄ではなかったと乾杯をした記憶があります(笑)。
小竹:あの辛みは、四川の料理全てに共通しているのですか?
酒徒:一概には言えないですが、四川の料理は比較的あの要素が多いです。他地域と比べると、山椒の痺れと唐辛子の辛さを混ぜ合わせたような味付けが多いです。
小竹:それは文化的な背景があったりもする?
酒徒:あの辺りは高温多湿なので、香辛料を食べて汗をかくと涼しくなるので、そういうこともあって受け入れられたのだろうと思います。唐辛子は長い中国の歴史でいうと、せいぜいここ数百年のもの。それでもあんなに食べるようになっているのは、地域的な天候的な特性だと思います。こういうのが面白さだなと思いますね。
小竹:中国で地域によって味が違うのは、気温が影響していることが多いのですか?
酒徒:天候・気候は1つの大きな要素ですね。その土地の人が日常的に食べて心地よくなる味付けや食材が選択されて残っていくので、山がちとか寒い暑いとかそういうものを含めてものすごく大きいです。食の興味としてフォーカスをしても、その後ろには地理や歴史が姿を表すという感じですね。
小竹:歴史でいうと、どういったところが影響されるのですか?
酒徒:あれだけ大きい国で56の民族がいて、それが入り混じっているわけですから、この時期にこの民族が移動してきて、その風習がこっちと混じったみたいなことが各地である。だから、料理を知るためには歴史の要素に結局戻っていくことになる。だからこそ、ハマッたのかもしれないですね。
30年続ける“食べたもの”をノートに書く行為
食べた料理をメモしたノート
小竹:先ほどお話していた年季の入ったメモ帳を今日お持ちいただいているそうですね。
酒徒:段ボールに何十冊もあるのですが、当時はまだスマホなどがないアナログ時代だったので、妻と2人で旅行するときなどにノートを持って行って、食べた料理や値段を全部書いていました。
小竹:すごいですね。
酒徒:何が入っていたとか、ちょっとした感想を書いておくので、帰ってきた後も調べられるんです。そういうことを目的として書いて、それをブログに書くみたいなことを10数年やっていました。一緒に写真も撮っていたので何十万枚もあります。
小竹:それも大学1年生のときからやっていた?
酒徒:その頃は「写ルンです」だったので24枚しか撮れない。だから、全て撮るようになったのはデジカメ時代ですね。ノートは大学1年生のときに中国に行って衝撃を受けて、そこから書き始めたので、もう30年くらいやっていますね。
小竹:すごいですね。
酒徒:パソコンやスマホがない時代なので紙に書いていましたが、2000年代になって北京や上海で暮らしていたときは、ノートからExcelに変わり、毎日食べたものを全部書いて、横にピンインという中国語の発音記号を書いて、勉強も兼ねていました。今見返してもちょっと病的な記録ですね。
小竹:結果として、どのくらい食べているのですか?
酒徒:少なくとも最初の2年で5000食以上は食べています。それは明確にExcelの量が5000以上あるので。前に試しに計算をしてみたら、朝は何か軽食を食べ、昼に誰かと食べて3皿程度シェアして、夜も3皿で、1日7皿で、365日食べると大体2500食くらい。宴会をしたらもっと頼むし、旅行のときは1日5食くらいの勢いで食べるので、5000食でも少ないくらいで、余裕で可能だという検証結果が出ました。
配信: クックパッドニュース