指の欠損、低身長、日光が浴びれない…。娘が難病「ロスムンド・トムソン症候群」だとわかるまでの11年を振り返って【体験談】

指の欠損、低身長、日光が浴びれない…。娘が難病「ロスムンド・トムソン症候群」だとわかるまでの11年を振り返って【体験談】

静岡県在住の山口有子さんは、長女(14歳)、長男(8歳)、パパの4人家族。長女のひーちゃんは12歳のときにロスムンド・トムソン症候群と診断されました。ロスムンド・トムソン症候群は、日光を浴びることで悪化する皮膚症状や、顔面・手足などの皮膚萎縮、母指欠損、上腕骨の奇形、小柄な体形などを特徴とする遺伝性の難病です。

山口さんはそんなロスムンド・トムソン症候群の情報を共有・発信するべく、患者とその家族のための「ロスムンド・トムソン症候群家族会」を立ち上げました。今回は、ひーちゃんが生まれてから身体にあらわれた症状や、診断が出るまでのこと、これまでの育児生活などを山口さんに振り返ってもらいました。全2回のインタビューの前編です。

生まれた娘は指が欠損し、肘が90度に固まった状態だった

山口さんがひーちゃんを授かり、妊娠後期に入ったころのこと。赤ちゃんの体重の増えが悪いと医師に指摘されたそうです。それ以外はとくに大きな問題はなかったものの、出産予定日より1カ月も早く出産することに。

「それまで自分が想像していた出産とは大きく異なり、ものすごく不安でした。娘は2055グラムの低出生体重児で、出生直後にはNICU(新生児集中治療室)のある病院に救急搬送。その日、私は生まれたばかりの娘に対面することができなかったんです。

出産の翌日、先に娘と対面した夫から『親指がない』という事実を聞かされ、病室で泣き崩れたのを覚えています。心の準備はしたつもりでしたが、実際に目の当たりにしたときはショックを隠せませんでした。左手は指が完全に欠損しており、右手は親指がプラプラとついている“浮遊母指”の状態。また、肘も90度に曲がったまま固まって動きませんでした。

そのとき真っ先に思ったのは『健常に産めなくて申し訳ない…』ということ。また、自分の力ではどうにもならないことに直面したという実感で、ひどく落ち込みました。

そのうえ、『この子はこれからどう成長していくのだろう?』とか、当時育休中だったこともあり『自分は仕事に復帰できるのだろうか?』という今後に対する不安も押し寄せてきて。

病院で初めて沐浴(もくよく)をしたとき、『ママ、無理しなくていいよ』と看護師さんに声をかけてもらったのを覚えています。よほど深刻な顔をしていたんでしょうね」(山口さん)

2歳ごろまでは手術と入退院を繰り返す日々

ひーちゃんには指の形成不全などの症状があったものの、医師からは明確な病名の診断はなく、「今後いろいろ検査が必要になるかもしれない」とだけ伝えられました。その後、入退院を繰り返す日々が始まります。

「娘はミルクの飲みがとても悪く、生後1カ月間入院していました。退院後も体重が増えず、すぐに再入院することに。

その後は、脊髄の異常が見つかったり、1歳のときには脳室に水がたまる“水頭症”と診断されたりと、たびたび手術を受けました。さらに右手の浮遊母指がうっ血して腫(は)れたため、1歳6カ月のときに切除手術を受けて…2歳になるまでは入退院を繰り返す日々で、ほとんど病院で過ごしていたと思います。

そのころの娘といえば、とにかく成長がゆっくりでした。首が座ったのも10カ月になったころで、肘の奇形があるためハイハイもできず、背ばいで移動するのみ。耳が重度の難聴だということもわかりました。また、しゃべることも食べることも困難で、食事も経管栄養でとっていたんです。

私自身も育児と仕事の両立がむずかしく、さらに当時経管栄養が必要な子を預かってくれる保育園がなかったことから、娘が2歳のときに退職しました」(山口さん)

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