一般生活者の感覚は… 「非建設的」な行為への忌避感
有権者、特に日々の仕事や生活に忙殺されている中間層にとって、国会での感情的なやり取りは、政治に対する関心を高めるどころかむしろ遠ざける要因となっているもよう。
高市首相を応援するムーブメントとして「サナ活」が若い女性に広がっているように、有権者は政治家に対し、共感や親近感を求め、自発的に応援したくなるムードの醸成を望んでいると言えます。
そうした視点から見ると、ヤジという行為は「建設的でない感情的な対立」として認識されやすく、政策論争よりも「非生産的な“騒音”」として受け取られてしまうのが実態のよう。野党が政府の不備を追及する意図は理解されても、その手法が「有権者の不信感を助長するノイズ」となってしまえば、支持層の拡大にはつながりにくいのです。
ヤジが示す「政治と国民の距離」
今回の事例で見られたように、野党内で具体の対応が求められる状況は、ヤジが単なる議場内の問題にとどまらず有権者の政治に対する信頼度に直結していることを示しています。
2012年の第2次安倍政権発足以降、長らく続いた自民盤石の政治体制に“風穴”が開けられ衆参ともに少数与党に追い込んだ今、野党が存在感を示そうと躍起になるのもものの道理。しかし、国民が忌避するやり方でアピールしても政党支持率のアップにはつながらないものとみられます。
(LASISA編集部)

