「個人の自由」を訴える少数派と中立案
一方で、多様性配慮優先派は、強制的な唱和を「差別」と見なし、個人の自由を尊重すべきだと訴えます。「宗教的に祈りたくない子がいるのに強要はおかしい」といった声はありますが、SNS上では少数派にとどまりがちです。
議論の解決策として注目されるのが、中立・代替案派の意見です。この層は、極端な「廃止」にも「強制」にも与せず、「廃止じゃなく、感謝の心を別の形で教えるべき」といった、任意運用で感謝の心自体は残すべきという現実的な提案をしています。新型コロナウイルスの感染対策時の給食運用を例に挙げ、「感染対策みたいに柔軟に、宗教配慮も任意でOK」といった声もありました。食育講師からは、「給食は教育。ムスリム食を強要するより、礼拝所を作るなど別の方法で配慮すべき」といった、文化と教育の両立を目指す提案も飛び出しています。
文化を守るか、時代に合わせるか
今回の「いただきます」騒動は、宗教的配慮を契機としつつも、根底には「#日本の伝統文化を守りたい」という強い思いと、「日本らしさの喪失」への不安があることを示しています。著名人の言及が議論をさらに加速させ、「文化の危機」として全国的な関心を集めつつあります。
SNSの声は「伝統守護」で圧倒的ですが、多文化共生の現実や、教育現場の負担を考えると、中立派が提案する「任意運用で感謝の心を残す」といった柔軟な着地点が、現実的な解決策となるのでしょうか。
「いただきます」という言葉に込められた感謝の精神を、日本はどのように次世代へ継承していくのか。この問いかけは、私たち一人ひとりが向き合うべき課題と言えそうです。
この「いただきます」運用変更の議論、あなたは「伝統を守るべき」だと思いますか? それとも「個人の配慮を優先すべき」だと思いますか?
(足立むさし)

