「産んでくれてありがとう」
それでも義姉の朗らかさや親切な態度は、妊娠で心身に負担のある私にとって、とても支えになっていた。そして、その支えを受けて私は無事に第一子である娘の花を出産した。
出産後の面会では、私の家族と義家族が来てくれた。私への労いや気遣いの言葉がけに溢れる中、義姉も目に涙を浮かべながら私に言葉をかけてくれた。
「沙耶ちゃん、産んでくれてありがとう」
言われた直後は、涙ぐむ義姉の様子や場の雰囲気に呑まれて流していた。けれど、時間が経てば経つほど、義姉の言葉が胸に引っかかった。
別に、義姉に特別な意図はないのかもしれない。ただ私には、あたかも義姉のために娘を産んだような意味合いを感じざるを得なかった。
「子どもを産んだのは夫婦の意思だし、義姉や他の何かのために産んだわけではない」と、いつしか私は義姉に対して憤りを覚えていた。
それから義姉がお見舞いに来たり、退院後に子どもに近づいたり触れたりするのに私は心の中で抵抗感を感じるようになった。でも、自分の娘を愛でてくれる叔母であり、婚約の頃からお世話になってるという負い目。それに義姉に対して敏感になってる自分がおかしいのかもしれないという思いが、義姉への抵抗感を誤魔化した。
今は気になるけど、じき慣れる──そう自分に言い聞かせて、私は子育てを始めた。けれどこの違和感は、その後も長らく私を悩ませることになるのだった。
あとがき:優しさの輪郭
人の“優しさ”は、時に境界を曖昧にしてしまいます。義姉の明るさも思いやりも、本来はまっすぐな愛情からのものだったのかもしれません。それでも、受け取る側の心が疲れているときには、愛情さえも重荷に感じてしまうものです。絵里の優しさに戸惑いながら、沙耶は“家族との距離”という課題に初めて直面していました。その違和感が、やがて避けられない亀裂へと変わっていくことを、まだ知らずに。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています
記事作成: tenkyu_writing
(配信元: ママリ)

