表現の是非をめぐる二つの見解
擁護派は、コメントの意図は「ジェンダー平等」を教えることにあると指摘します。「性別にかかわらず、総理大臣は国民全体の代表である」という主張は、特定の性別を特別視しないというリベラル・フェミニズムの基本的な考え方であり、子供たちに多様な価値観を教える上で「正論」であるという見方です。
一方、批判派は、記事のニュアンスと対象読者に焦点を当てています。保守派の政治家である高市氏の就任を報じる際に、「女性初でも女性にいいことはない」という否定的な切り口から入るのは、中立性を欠き、特定の政治的立場を反映していると指摘。この構図が、「高市叩き」の延長線上にあると見なされ、メディアへの不信感をさらに高める結果となりました。
報道と教育の境界線
SNS上のコメントからは、今回の炎上が単なる記事批判にとどまらず、メディアの政治的立場と購読者層の価値観が正面衝突した結果であることが見て取れます。
批判的な意見には、「毎日小学生新聞は偏向報道すぎておぞましい新聞。子供を洗脳するな」「メディアの質の低さは救いようがない。高市総裁の誕生と同時に批判一辺倒になった」という厳しい声が寄せられています。一方、擁護・中立的な意見も見られます。「毎日小学生新聞は当然の主張で批判にあたらないと思う」「高市推しの人でも、記事の内容はそこまでおかしなこと書いてないと思うが…」と、冷静な声も。
今回の炎上は、子ども向けメディアが政治的価値観をどこまで伝えるべきかという、報道と教育の境界線を問う大きな議論に発展しています。「女性初」という歴史的なニュースが、結果としてメディアの信頼性と子どもの教育をめぐる激しい論争の引き金となりました。新聞社の今後の対応と、購読者数の動向にも注目が集まりそうです。
(LASISA編集部)

