“親孝行の道具”にされた気がした
その後、第2子である悠も生まれ、我が家はより賑やかになった。そして、2人の成長に伴って様々な行事にも参加した。悠の時にもお食い初めをしたし、花は七五三、それにそれぞれの誕生日には小旅行やお家でお祝いをした。どれも我が子の色んな表情を見れたし、何より、無事と成長を見届けているようで一つひとつが感動的だった。
ただ、同時に悩みの種もついて回った。それは義姉の存在だった。悠のお食い初めも、花の七五三も、そして誕生日さえも義姉は介入してきた。
「一緒にお祝いしたい!」「撮影とかのお手伝いするよ!」などと言って、義姉は子どもたちのありとあらゆる行事に参加してきた。私も強く断ることも、夫に相談することもできず、抱える抵抗感を誤魔化して参加をゆるす他なかった。
義姉は参加すると盛り上げ上手だし、子どもたちにも好かれていた。助かる場面ももちろんあった。でも、義両親に子どもたちの写真を無断で送っていたり、突然テレビ通話を始めたりする姿は徐々に見え始めていた。私はその義姉の行動に、我が子を親孝行の道具に使われているように感じていた。
そう思うようになってからというもの、私は“我が子を取られているような感覚”と“必要以上に過敏に反応してしまっているかもしれない不安”の狭間で、誰にも相談できず葛藤するようになっていて、時に1人涙を流すまでになっていた。
あとがき:善意の裏に潜む境界線
家族の「手伝い」や「お祝い」は、本来ありがたいもののはず。けれど、少し踏み込み過ぎれば、それは他人の家庭を侵食する行為にもなります。
義姉の絵里さんの行動は、悪気がないだけに厄介でした。感謝と違和感の狭間で、沙耶は“家族であること”の難しさを思い知りました。
優しさと干渉、その境界線をどこに引くか──それが今も、彼女の中で答えの出ない問いとして残っているのでした。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています
記事作成: tenkyu_writing
(配信元: ママリ)

