人生の転機となった“ガザ地区”での出会い
小竹:まずは関根さんのプロフィールをご紹介します。1976年、神奈川県生まれ。アメリカの中西部にあるベロイト大学を卒業。1999年、大学の卒業旅行でガザ地区を訪問した経験から、平和の実現を志すようになりました。2002年、人と人をつなぎ、世界の課題解決に貢献することを理念に、戦争、貧困、飢餓、気候変動などのグローバルな課題に取り組む、ユナイテッドピープル株式会社を設立。映画事業からワイン作りまで幅広く活動されていらっしゃいます。
関根さん(以下、敬称略):なんか重たいプロフィールですよね。平和はめちゃくちゃ志していまして、明るい平和オタクです。世界に暗いことがいっぱいあるので、なんとかしたいと本当に思っています。
小竹:大学の卒業旅行でガザ地区に行かれたのが、人生の大きなターニングポイントだそうですね。
関根:大学卒業時点ではワインを作ることを志していて、友達と南フランスでワイナリーを設立するのが夢でした。その夢を叶える、且つ、卒業旅行を兼ねて、世界半周の旅を計画しました。ある場所に行ってはワイナリー行き、おいしいものを食べて、飛行機を使わずにゆっくり東に移動しながら、日本に帰ってくるという旅です。
小竹:面白そうですね。
関根:2ヶ国目に行ったのがイスラエルでした。中東情勢のことなどほとんど予備知識がなく、「エルサレムに行ってみたい。イスラエルもおいしいワインがあるらしい」くらいの情報で行きました。エルサレムにいたら、日本人の女性が「日本人がここにいるのは珍しい。よかったら遊びに来ない?」と誘ってくれたのがガザ地区だったんです。
小竹:当時の中東の状況は?
関根:1999年の1月なのですが、「オスロ合意」という、イスラエルとパレスチナが2国で共存していく合意がなされた数年後で、平和のムードがありました。今振り返ると、一番平和な雰囲気があった時代かもしれないです。
小竹:そうなのですね。
関根:僕を誘ってくれた日本人の女性は病院の施設でボランティアをされていて、その病院の前の広場で子どもたちがサッカーをしていたので、夢を聞いてみたんです。パイロットになりたい、オリンピックに出たい、学校の先生になりたいなど、いろいろな夢がある中、1人だけ「戦争に行きたい」という子がいたんです。
小竹:何歳くらいのお子さんですか?
関根:13歳の少年でした。子どもが「誰かを殺したい」とか「彼らが敵」みたいなことを言っていて、すごくショックを受けて…。なぜ子どもなのに「戦争に行きたい」なんて夢を持ってしまうのだろうかと感じたことが、僕の人生の転機になりました。
小竹:そのときのガザ地区は平和な空気がある中、どうしてその子はそういった思いを持っていたのでしょうか?
関根:まだ時折、衝突はあって、彼は自分の目の前で家族を殺されてしまったんです。その悲しみがトラウマとなり、憎しみに変わったのだと思います。だから、問題の根っこには“戦争”があった。僕はその彼も犠牲者だと思っています。その原因となる戦争という状況を取り除きたい、全ての子どもたちが子どもらしい夢を描ける世界を作りたいと思うようになった原点が、ガザ地区の訪問にありました。
映画をきっかけに“いい変化”を生み出していきたい
小竹:ワイナリーを作りたいという思いから、その出会いがきっかけで変わった感じがあった?
関根:そのプロセスはそんなに簡単にはいきませんでした。というのは、日本で就職が決まっていて、普通にサラリーマンになりました。サラリーマンを始めた頃は、まずは親から自立をすることが一番だったので、中東でこんな体験をしたけれど、地球の反対側のことであって、僕には何もできないと諦めていました。ただ数年間、会社勤めをする中で、ある日すごくピンとくる瞬間があって、「もう始めよう。時が来た!」と感じたんです。
小竹:何があったのですか?
関根:ガザに行ってから数年後だったのですが、仕事のしすぎで倒れて救急車で運ばれたことがありました。点滴を打つために病院に泊まることになったのですが、病室が空いていなくて、診療室の前の倉庫に布団を敷いて寝かされたんです。そのシチュエーションはおかしすぎたのですが、「ここで俺の人生が終わったら最悪だな」と思ったんです。
小竹:ちょっと屈辱的な感じもしますよね。
関根:どうせ命を削って生きるのなら、絶対に後悔しない人生を選ぼうと決意しました。それで世界を旅しながら自分を見つめ直して、自問自答をくり返していました。その中で、「もしものすごくお金を持っていて何でもできる状態だったら何をする?」と考えたときに、9.11の後のアフガニスタン戦争やイラク戦争など、中東のエリアで新たな戦争が生まれ、新たな犠牲者が出て、新たに親を失う子どもたちが出て、悲しみが広がっている状況を止めたいと思ったんです。
小竹:うんうん。
関根:僕は医者でもなければ建築家でもないのでできることは限られているけど、食料やテント、医薬品などが届く募金のシステムは作れたので、そのシステムを最初に作ったのがユナイテッドピープルの最初の事業でした。
小竹:募金システムと映画配給は少し距離がある感じがしますが、そこに至った経緯は?
関根:寄付をする行為は誰でも参加しやすくて大切ですが、寄付をしても社会の構造が変わらなければ戦争は起こり続ける。森の木は切られ続ける。それで、やっぱり人の心が欠けていると感じました。こういう世界を作っていかなければならない、こういう外交をしよう、こういう教育が必要だといった感じで。
小竹:うんうん。
関根:そのときに、僕はいろいろなメディアを考えていました。真実を知って、社会の情勢を知って、そして変えようと思う人を増やしたくて。ニュース番組なども考えたのですが、映画を選択することになりました。
小竹:そういった流れがあったのですね。
関根:あるとき、募金サイトをやっていた関係で、アジアの最貧国と言われていたバングラデシュに行きました。ストリートチルドレンを支援している団体を訪問したのですが、「私たちは寄付はいらないです。映画を作ったから日本で広めてくれませんか?」と言われたんです。それが映画との出会いです。そのバングラデシュのストリートチルドレンの映画を日本に持ってきたら、すごく変化を感じられました。
小竹:それは見ている人の変化?
関根:映画を見た若者たちが「私もバングラデシュでストリートチルドレンの支援のためにレンガを積みたい、井戸を掘りたい」などと言って、どんどん現地に飛び始めました。映画をきっかけに人々の心が動いて、現実が動いて、いい変化が生み出されていくのを感じ、そこから映画にのめり込んで、映画事業を中心にここ10数年やってきました。
小竹:いろいろな映画の配給をされていますが、映画の選び方で関根さんが大事にしていることは?
関根:世界の課題を題材にしていることがまず大前提です。もう1つは、あまり答えを出さない映画を極力選ぼうと考えています。なぜこういうことが起きているのか、映画に教科書として教えられるのではなく、1人1人が考え始めるきっかけを作りたいので、答えではなくヒントとなる映画を選ぶようにはしています。
小竹:見終わってモヤモヤする感じですね。
関根:モヤモヤ最高。今は情報のシャワーを浴びているから考える暇がない。だから、余白を突きつけることも大事かなって。ユナイテッドピープルは映画の上映会をすごく大事にしていて、見た人と一緒に社会の課題についてディスカッションをする、一緒にご飯を食べるという上映会の仕組みも作っています。
小竹:私も何度かお邪魔をしたことがあります。ガザ出身の方とイスラエル出身の方のディスカッションを聞くという会だったのですが、何も答えがない中で、最高にモヤモヤしましたね(笑)。
関根:ある問題があって、教科書的に答えはABCですと言われたら、そこにもうはまってしまう。でも、本当は答えはABC以上にXYZ、もしくはそれ以上あるかもしれない。30人の上映会を開催したら30人の知恵が集まるので、30人の知恵をぶつけ合いながら発展させるのが民主主義的な映画の見方だと思っています。
小竹:うんうん。
関根:「cinemo」という仕組みを作って、今は年間2000回弱、日本全国で小さな規模から大きな規模まで、上映会を開催しているのですが、それぞれでさまざまな出会いと考えが生まれて、NPOが生まれたり、会社が生まれたり、みんなで一緒に寄付しようなどとアクションが生まれたりしていますね。

