文豪・武者小路実篤が夢見た理想郷、いまも暮らす最後の村民が語る"本当の豊かさ"「人間は金でつくられるわけじゃない」

文豪・武者小路実篤が夢見た理想郷、いまも暮らす最後の村民が語る"本当の豊かさ"「人間は金でつくられるわけじゃない」

●武者小路実篤が1918年に開村、最盛期は50人の住民

「新しき村」は、明治から昭和にかけて活躍した作家、武者小路実篤(1885〜1976年)が1918年に開いた「人道主義共同体」だ。掲げた「精神」は次のようなものだった。

一、全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させる事を理想とする。

一、その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。

一、その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。

一、全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。

一、かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。

一、されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人が入る事で、入ろうとする事で、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。

実篤は「自分も生き、他人も生きる世界をつくりたいというだけの話である。もっとつめて云えば、『自他共生である』」と記している。つまり、誰もが幸福に生きられる共同体を目指したということだ。

そして、自他共生に必要なものとして、「肉体的な生命を保つこと」と「健全な食、衣、住」を挙げ、そのために村の住人が協力して働くことを求めた。

新しき村は、ダム建設の影響で1939年に本拠地を埼玉県毛呂山町(もろやままち)に移し、宮崎のほうは「日向新しき村」として残った。

画像タイトル

●移住して半世紀、残る村人は実質一人のみ

北海道函館市に生まれた松田さんは、両親が他界し、17歳で上京。働きながら定時制高校で学んだ。その後、社会科の教員資格を取得するなどしたが、自分が知らない農山漁村での暮らしに憧れる気持ちがあったという。

そんな中、本屋で偶然手にした実篤の著書に感銘を受け、25歳で埼玉の新しき村を訪ねた。33歳で宮崎の村に移住し、以来、自給自足に近い暮らしを続けている。

始めてから50年が経つという有機農業について、松田さんは「自然の摂理を尊び、学び、実践するという勇気がいる」と話す。

ともに暮らした妻はすでに亡くなり、現在、実篤の理念に基づいて生活するのは実質的に、松田さんひとりだという。埼玉の村も残る村民は数人で、高齢化が進み、存続が危うい状況になっている。

閉鎖的な宗教団体のようなイメージがあるかもしれないが、厳格な戒律はなく、生活上の決まりもない。外部の住民を熱心に勧誘することもない。

松田さんはスーパーに買い物に行くこともあれば、ガソリンスタンドで燃料を買うこともある。スマホでLINEも使う。近隣の住民との交流もあり、頼まれごとがあれば駆けつける。

画像タイトル

提供元

プロフィール画像

弁護士ドットコム

「専門家を、もっと身近に」を掲げる弁護士ドットコムのニュースメディア。時事的な問題の報道のほか、男女トラブル、離婚、仕事、暮らしのトラブルについてわかりやすい弁護士による解説を掲載しています。