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松井稼頭央が振り返る進化の軌跡 投手から野手、そしてスイッチヒッター転向への契機<プロ野球 レジェン堂>

松井稼頭央が振り返る進化の軌跡 投手から野手、そしてスイッチヒッター転向への契機<プロ野球 レジェン堂>

「プロ野球 レジェン堂」
「プロ野球 レジェン堂」 / ※提供画像

10月28日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00〜10:55、BSフジ)に、日米通算2705安打、そしてトリプルスリーも達成した松井稼頭央が登場。日本人初の内野手メジャーリーガーとして輝かしいキャリアを築いた松井が、自身の登録名の由来からプロ入り当初の苦悩、そしてスイッチヒッターとしての挑戦まで、波瀾万丈な野球人生を振り返った。

■本名は徳光と同じ“和夫”…登録名に隠された秘密

MCの徳光和夫が「なぜ登録名は“稼頭央”になったんですか?」と素朴な質問を投げかけると、松井は「母親の知り合いから“プロに行くのであれば名前を変えたほうがいい”と言われたのがきっかけ」と語る。

実は松井の本名は徳光と同じ“和夫”。高校3年の頃にはすでに“稼頭央”の名前を考えていたが、どのタイミングで変えるべきか悩んでいたという。結局、プロ入り後に2軍の試合でケガをしたことをきっかけに現在の名前へ変更した。

「“グラウンドの真ん中に立ちなさい”という意味です」と名前の由来を披露した松井に対し、徳光は「僕も“稼頭央”にしておけばもっと稼げたかな」とジョークを飛ばして笑いを誘う。

松井といえば左右両打席で打つスイッチヒッターの印象が強い。だが松井がスイッチヒッターへ転向したのは、プロ入り3年目のことだった。2年目までは右打者として出場していたが、左ピッチャーには強い一方、右投手には打率.190と苦戦。練習中、当時のコーチから左打ちを勧められたものの、守備や走塁など課題が多かったため一度は断念していたという。

転機となったのは3年目。新たに就任した土井正博コーチから「足を活かす意味でも、スイッチにもう一度挑戦しないか?」と提案を受けた。さらに須藤ヘッドコーチからも熱心な指導を受け、「左と右で人格を変えろ」と熱血アドバイスをもらう。そして番組では松井自らがバットを持ち、左右の構えの違いを実演。その姿には、試行錯誤を重ねながら進化してきたプロ魂がにじんでいた。

■西武入団と同時に投手から野手へ転向…「どこを見ていたのかな?」

大阪出身ながら読売ジャイアンツファンだった松井は、9歳のときに甲子園で掛布・岡田・バースによる伝説の“バックスクリーン3連発”を目撃。プロ野球選手を志すきっかけになったと明かす。そして小学校3年生からボーイズリーグで投手として活躍するも、桑田真澄も在籍していた地元の強豪「八尾フレンド」にはあと一歩届かず。それでもコツコツと練習を積み重ね、PL学園からのスカウトを受けて入学することに。

高校時代を振り返ると、「嫌でしたね」と苦笑いを浮かべる松井。寮生活では洗濯板で先輩のユニフォームを洗い、女子生徒を見てはいけないという厳しいルールを守ることが求められた。甲子園出場は高校2年生時の一度きりだったが、卒業時には巨人、中日ドラゴンズ、広島東洋カープ、福岡ダイエーホークスの4球団がスカウトに訪れたという。

しかし当時の松井にとって意外だったのは、“投手として”のオファーがあったのは中日のみだったこと。他球団からは「野手でいく」と評価されていたそうだ。野手の練習をしていなかった松井は「どこを見ていたのかな?」と振り返ったが、それだけ多くの球団が野手としての潜在能力に注目していたことがうかがえる。また結果的に埼玉西武ライオンズからドラフト3位指名を受けたが、当時の西武は黄金期であったため「このチームに入るのか。試合に出られるのか?」と不安もあったと述懐している。

そうした不安も手伝ったのか、プロ入り1年目には2軍で24失策を記録。投手出身ゆえの“投げ方のクセ”が原因で、悪送球が続いたという。今でこそ守備の名手として知られる松井だが、新人時代には確かな苦労があったのだと徳光と遠藤玲子も驚きの表情を見せていた。

■スイッチヒッター挑戦と「人格を変えろ」の教え

プロ入り間もなくは振るわなかったものの、スイッチヒッターとしての練習を重ねた4年目の1997年からは打率3割をキープ。そこから3年連続で盗塁王を獲得し、さらに2002年には最多安打とトリプルスリーを達成した。中村紀洋から利き手の使い方を教わり、長打力にも磨きをかけた松井はやがて日本を代表するスイッチヒッターへと成長していく。

2011年にメジャーから日本球界へ復帰し、2018年に現役を引退。25年間の現役生活を振り返り、「未練はあると思うんです。まだやりたいですもん」と松井は語ったが、その表情には悔いではなく充実感が漂っていたように見える。

数々のエピソードを通して特に印象的だったのは、松井が常に自分を進化させる勇気を持っていたことだ。投手から内野手へ、右打ちから両打ちへと、大胆な決断の裏には挑戦を恐れない強い意志があった。「グラウンドの真ん中に立ちなさい」という名前の通り、松井稼頭央はいつの時代も中心に立ち、野球界に新たな風を吹かせ続けた。

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