移植治療を受けられない高齢の多発性骨髄腫患者さんに、新たな希望が生まれています。「これまでの治療では不十分だった患者さんたちが、ようやく強力な治療を受けられる時代になった」と語るのは、京都府立医科大学血液内科学教授の黒田純也医師。最新の4剤併用療法により、外来通院だけで日常生活を取り戻す患者さんが増えているといいます。どのように進化しているのか、詳しくお話を伺いました。

監修医師:
黒田 純也(京都府立医科大学大学院医学研究科 血液内科学教授)
京都府立医科大学卒業、同大学院修了(医学博士)。京都第二赤十字病院での臨床修練、京都大学医学部での研究留学を経て、オーストラリア・ウォルター&イライザホール医学研究所(Andreas Strasser研究室)で客員研究員として細胞死研究に従事。帰国後、京都府立医科大学で講師、診療科長、診療副部長を歴任し、2016年より現職。同大学附属病院血液内科診療部長、遺伝子診療部部長、遺伝カウンセリングコース教授を兼任。日本血液学会理事・評議員、日本骨髄腫学会副理事長、日本臨床腫瘍研究グループリンパ腫グループ多発性骨髄腫小班班長、関西ミエローマフォーラム幹事。20年以上にわたり多発性骨髄腫の基礎研究と臨床に従事し、取り残されていた患者さんへの治療選択肢拡大に尽力。患者一人ひとりに最適なオーダーメイド医療の実践を通じて、高齢者でも日常生活を維持しながら治療できる時代の実現に貢献している。
30年前、平均生存期間はわずか3年だった
1996年に医師となった黒田医師は、当時の多発性骨髄腫治療の厳しさを振り返ります。
「私が医者になった頃、多発性骨髄腫の平均生存期間は教科書に2.8年や3年と書かれていました。抗がん剤を使ってもこの程度。ちょっと良くなってもすぐ悪くなる、その繰り返しでした」
黒田医師は興味深い歴史的事例を紹介しました。1848年の症例報告によると、38歳の女性患者サラ・ニューベリーさんは、体中に腫瘍ができ、腹水が溜まり、骨がボロボロと折れる状態でした。当時の治療はミカン、ダイオウ(便秘薬)という対症療法のみ。それでも4年間生存したとされています。
150年以上前とほぼ同じ生存期間。それが30年前の現実でした」と黒田医師は語ります。
当時のメルファラン・プレドニゾロン(MP)療法の成績を見ると、奏効率が54%、つまり2人に1人しか効果がありませんでした。完全奏効に至ってはわずか3%。そして次の治療が必要になるまでの期間は約1年半という状況だったのです。
なぜ高齢者の治療は難しかったのか
多発性骨髄腫が治りにくい理由を、黒田医師は2つの大きな要因から説明します。
まず一つ目は複雑な遺伝子異常です。
「骨髄腫は単一の遺伝子異常で起こるわけではなく、色んな遺伝子異常が組み合わさって起こってきます。しかも体の中で増えていく過程で、どんどん新しい遺伝子異常が加わって、めちゃくちゃパワーアップしてくる」
二つ目は免疫システムの崩壊です。
「がんができる時は、『免疫ががん細胞をやっつけることができない様々なメカニズム』が体の中で起こります」
特に高齢者ではこれらの要因に加えて、体力の低下(フレイル)、心臓や肺、腎臓などの臓器機能低下、糖尿病などの合併症、そして薬の副作用への耐性低下という問題が重なります。若い人に効く治療法が、高齢者では毒性が強すぎて使えないことが多かったのです。

