話を聞いた出口さんの体に、突如現れた痣(あざ)は、白血病の症状のひとつでした。自身の闘病経験から20年勤めた公務員を退職し、現在はメンタルコーチへと転身しています。出口さんが、寛解に至るまでの長い闘病生活で、自身を奮い立たせたものとは一体何だったのでしょうか? これまでの体験を語ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年4月取材。
体験者プロフィール:
出口 卓さん
2014年9月に急性骨髄性白血病を発症。最初にかかった病院からがんセンターに転院し同年10月から治療開始。寛解導入療法を2回(通常は1回)、地固め療法を3回、治療の間に一時退院を経て、2015年6月に完全退院。退院後は1年ごとに骨髄検査をおこない、徐々に通院間隔が空いていき、2020年8月の通院時をもって治癒(一区切り)。今は、夢に向かって、日々取り組んでいる。
身に覚えのない痣(あざ)と入浴後ののぼせ症状
編集部
はじめに急性骨髄性白血病について教えてください。
出口さん
急性骨髄性白血病は、血球(リンパ球以外の白血球・赤血球・血小板)のいずれかに育つ造血幹細胞が、非常に未熟な『芽球』という状態のままがん細胞(白血病細胞)となり、無限に増殖することで血球を造る骨髄内を埋め尽くしていく白血病です。造血幹細胞は、さまざまな形態に変化しながら各血球へと成熟していきますが、急性骨髄性白血病では骨髄内で未熟な芽球の割合が増え続け、成熟過程の細胞は造られなくなってしまいます。
編集部
出口さんが最初に感じた体の異変は何でしたか?
出口さん
私の場合は、仕事でイベント業務に従事した日の帰宅後、着替えると全身に痣(あざ/内出血)ができていました。イベント中に体をどこかにぶつけた記憶はなかったため、「えっ、なんだこれ!?」と思ったのが最初の異変です。ただ、数日後には消えたので、その時点で何か調べるということはしませんでした。
編集部
では、どのようにして検査を受けるようになったのですか?
出口さん
最初に異変を感じてから2カ月後、入浴後にのぼせて嘔吐し、さらに高熱もでました。すぐに近くの夜間救急に行き、そこで簡易的な血液検査をしました。あくまで一時的な対応施設でしたので、検査結果は大学病院に送られました。すると、大学病院から即入院を求められ、救急搬送されたのち、骨髄検査を受けました。
編集部
最初に受診した病院の医師からは、どのような説明がありましたか?
出口さん
最初の病院では、血液検査後に「白血病が最も疑わしい」との説明を受け、骨髄検査後に「急性骨髄性白血病分化型(M2)」であるとの説明を受けました。治療方法についての説明がなされ、予後良好のものであれば、抗がん剤のみで治癒が目指せること、抗がん剤治療は、寛解導入療法を1カ月おこない、寛解になれば地固め療法を3~4カ月繰り返すが、治療結果によっては骨髄移植の可能性も生じること、抗がん剤のみでも治療期間に半年は要すること、白血病で怖いのは感染症と出血であることなどの説明を受けました。
編集部
転院した病院の医師からの説明も教えてください。
出口さん
転院後の病院では、治療方針などの説明に加え、染色体検査などについても説明がありました。染色体の異常があるものは、抗がん剤の感受性が極めて高く、分類上は予後良好群に分類されます。私はこれに該当するため、現段階では予後良好群に当たるが、遺伝子検査などの結果などによって、実際の予後が決まることの説明もありました。また、精子保存をどうするか考える必要があること、吐き気や脱毛などの副作用がでること、口腔外科と連携し、親知らずの抜歯についての説明もありました。
抗がん剤の副作用に打ち勝つ気持ち「こんなところで死ねない」
編集部
病気が判明したときのお気持ちを教えてください。
出口さん
白血病はかつて不治の病と言われていたので、「死」が頭をよぎりました。また、日頃から健康維持に努めていたので「なぜ私が……」というやるせない気持ちに襲われました。ただ、友人が過去に白血病を克服していたことや、もともとポジティブ思考ということもあり「生きたいなら前を向くしかない。それに、若いうちに抗がん剤を経験できるのは、きっとこれからの自分の人生の糧になる」と思考を切り替えました。
編集部
病気が分かった当初から現在に至るまで、どのような治療をしていますか?
出口さん
抗がん剤治療をおこないました。寛解導入療法として、イダルビシン(イダマイシン)とシタラビン(キロサイド)という2種類の抗がん剤を投与しました。ただ、本来寛解導入療法は1回で寛解を迎えるのが望ましいのですが、私の場合、抗がん剤が想定より効かず、2回目の寛解導入療法をおこないました。寛解導入療法終了後、地固め療法として1種類の抗がん剤シタラビン(キロサイド)を大量に投与する治療を3回おこないました。
編集部
抗がん剤の治療は大変でしたか?
出口さん
強い抗がん剤を投与するので、副作用がかなりでました。1番危険だったのは、感染症の中でも重篤な部類の「敗血症性ショック」でした。血圧が著しく低下、呼吸困難、高熱、全身けいれん、嘔吐、視界が常にぐるぐる回るなどの症状が苦しかったです。それ以外にも、食欲不振にもなり、配膳車の音が聞こえるだけで気持ち悪くなって食事が喉を通らないこともありました。
編集部
それは大変でしたね。
出口さん
敗血症性ショックの際は、意識がもうろうとする中で頭の中に現れたのは、家族をはじめ、今まで出会った人たちの顔でした。「あっ、みんなが待ってくれている。だからこんなところで死ねない」と、みんなのためにという気持ちが力を与えてくれて、その後、症状を持ち直せました。
編集部
病気になってから印象に残っているエピソードを教えてください。
出口さん
白血病治療中、1回目の寛解導入療法時に病室で見ていたJリーグ。その中で、一人の某プロサッカー選手のファンになりました。彼から放たれる「絶対に最後まで諦めない。俺が何とかしてやる」というプレースタイルに感動し、すぐさま書いたこともなかったファンレターを書きました。すると、2回目の寛解導入療法の治療に励んでいたとき、その選手が実際に病院まで会いに来てくれました。血球が回復していないため、妻が外にでていき事情を伝え、妻の携帯から電話で会話することができました。その選手の人間力に感動し、励まされた、印象的な出来事でした。
編集部
治療中やこれまでに心の支えにしてきたものは何ですか?
出口さん
今まで出会った人たちの存在や、待ってくれている人たちのために乗り越えるという気持ちです。無菌病棟なのでお見舞いはできませんが、友人たちが神社からお守りを買って送ってくれたことなどが、頑張る力になりました。また、同じ病気の闘病者のブログは、治療の様子も参考になり、彼らの治療に対する前向きな姿勢も支えになりました。実際に、同時期に同じ病棟で治療していた闘病者の人たちは、高齢者も同じ世代の人たちも、とにかく明るく前向きに治療を受けていました。それとB’z(ロックバンド)が好きで、「ultra soul」などの曲をよく聴いていました。力や元気を与えてくれる音楽が多く励まされました。

