日本のアートの始まりは?縄文土器・土偶に見る美の原点

東京国立博物館,Tokyo National Museum『火焰型土器』「ColBase」収録東京国立博物館,Tokyo National Museum『火焰型土器』「ColBase」収録

それから70年以上たち、近年、これまで考古資料として扱われてきた縄文土器や先史時代の銅鏡やハニワなどが、日本美術として紹介されることが増えてきました。

美術館や資料館などでは、年代や型式といった考古的な知識に焦点をあてるばかりではなく、形や文様の美しさ、そこに秘められた創造性といったことに目を向ける展示も多くなっているようです。

また縄文土器や土偶などからインスピレーションを得て創作活動をおこなうアーティストも多く、絵画や造形物、インスタレーション、イラストなど、様々な分野に広がっています。

このように今やアートとしての認識もされるようになった「縄文」ですが、その始まりはいったいどのようなものであったのでしょうか。

旧石器時代‐創造のはじまり

先ずは縄文時代より前の、旧石器時代の造形物から見てみましょう。

日本列島に人間が暮らし始めたのは、今から約4万年前の旧石器時代です。その頃の気候は寒冷で、約2万年前には年平均気温が現在より8度前後も低く、大地は針葉樹を中心とした森林で覆われていました。

人々は一か所に定住せずに、洞窟や岩陰、または細い木を互いにもたせかけた軽易な住まいなどを点々と移動しながら暮らしていました。

彼らは石器(石を素材とした道具)や骨角器(動物の骨や角を素材とした道具)を使って、主に狩猟や木の実などを採集し生活の糧としていました。生活のなかで徐々に石器を作る技術が向上していき、道具としての形を確立していきます。

中でも、木の棒に括り付けて槍として使ったと考えられる尖頭器(せんとうき)や、手でナイフのように扱ったナイフ形石器は、射止めた獣を解体するのに最適な道具として全国各地で同様のものが作られました。

石の素材は現地で調達できるものが中心でしたが、わざわざ遠隔地から運ばれてくる石もありました。

特に加工しやすく、鋭い刃先を作ることができる「黒曜石」は日本初のブランドとも言われ、例えば産地の1つである長野県の和田峠産の黒曜石は関東各地に広く運ばれ、次の時代の縄文時代に入る頃には既に取りつくされてしまったと言われています。

今、私たちがその黒曜石の尖頭器(せんとうき)を見ると、黒く透明な光りは微細な加工技術との相乗効果で、まるで宝石のように美しく感じられます。

道なき道を人が行き交うことは、とても困難な時代であったことでしょう。それでも特定の石が広範囲に渡って運ばれたということは、当時の人々が黒曜石に素材の特性以外の魅力を見出していた可能性があるのかもしれません。

松平義人氏寄贈,Gift of Mr. Matsudaira Yoshito,東京国立博物館,Tokyo National Museum『尖頭器』(東京国立博物館所蔵)「ColBase」収録

また平たい小さな石に、女性の髪の様な表現が彫られている「線刻礫(せんこくれき)」が、四国の岩陰から発見されています。

「線刻礫」の模様がが本当に女性の髪を表わしているかは定かではありませんが、旧石器時代の人が石に何かを表現したということは確かなようです。

縄文時代の一大発明・ 縄文土器

旧石器時代が終わり、約16000年前から縄文時代が始まります。日本列島はそれまでの寒冷な気候から温暖化に転じ、それにより植生が針葉樹から落葉広葉樹へと変化し、森にはドングリやクリ、クルミなどの木の実が豊富に実ります。

人々は木の実から多くのカロリーがとれるようになり、獣の肉などは補助的な食料へと変わり、常に獣を追いかけて移動する生活をする必要が無くなります。住まいは土を掘り込み、太い木を柱にした竪穴住居へと変わり、安定した生活が送れる様になります。

それと前後して生み出されたのが「縄文土器」でした。

土を捏ね焼き上げることで、水が漏れず火にかけられる、それまでにはない画期的な器が誕生したのです。煮炊きの出来る縄文土器は、それまでに食べることのできなかった堅い肉を軟らかくしたり、木の実の強い灰汁を取り除いたりと、縄文人の食生活を大きく向上させるものでした。

最初の土器は「無文(むもん)土器」と呼ばれるもので、土器の表面に模様はありませんでした。その形は、それまでもあったとされる木の枝などを使った編み籠や、獣の皮の容器などから発想を得たのではないかと考えられています。

「JOMON ARCHIVES ― 北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ ―」収録「JOMON ARCHIVES ― 北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ ―」収録

それから約2000年後、ついに土器に文様が付けられます。土器の表面に細い粘土紐を張り付けたもので、「隆線文(りゅうせんもん)土器」と呼ばれます。

それまでの道具としてだけの土器ではなく、装飾を施した初めての土器は、創造性豊かと言われる縄文土器の始まりと言えるようです。繊細な手仕事で作り上げられた文様は、土器を美しく装飾するという意志が伝わってくるような出来栄えです。

均整のとれた形もあいまって、今見ても美しく感じられる縄文土器ではないでしょうか。

「JOMON ARCHIVES ― 北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ ―」収録「JOMON ARCHIVES ― 北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ ―」収録

さらにその約1000年後、土器の表面に人の爪や竹などの筒状の道具等で文様をつけた土器が出現します。こうした流れを見ると、この頃には土器に表現することは、もはや特別な事ではなかったのかもしれません。

配信元: イロハニアート

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