「給食の質の低下」の背景にある、構造的な課題
議論の背景には、個別の学校の努力では解決できない、日本の学校給食が直面する構造的な課題があります。
一つ目は、食材費高騰の直撃と予算の「据え置き」です。食材費は記録的に高騰しているにもかかわらず、多くの自治体で給食費(特に保護者負担分)は長期間据え置かれてきました。この据え置きが、給食の量や品数、そして食材の質の直接的な低下を招いています。現場は、安価な食材への切り替えや献立の調整で、「栄養基準を満たす最低ライン」を維持するのが精一杯の状況です。
二つ目は、地域格差の拡大と予算の「不公平感」です。給食費の財源や質は、自治体の財政力によって大きく左右されます。一部の自治体が給食費の無償化や補助を充実させる一方で、奈良のように公的補助が追いついていない地域では、結果として保護者負担額に対して提供される給食の「コストパフォーマンス」に不公平感が生じています。
三つ目は、「無償化」議論の落とし穴です。政府は2026年度からの給食の無償化を計画していますが、これはあくまで「保護者の負担軽減」が目的であり、「質の向上」のための追加予算ではありません。このまま予算を増やさずに無償化が進めば、「タダだけど、質は低い」という状況が固定化され、子どもの食育の機会が失われるという懸念が指摘されています。
奈良発の議論が示す展望
へずまりゅう氏は、給食のポジティブな点(奈良のお米や手作りのルー)も評価しつつ、「引き続き調査し改善点を考える」と表明しています。この奈良の給食をめぐる議論は、「誰が、子どもの食に責任を持つのか」という本質的な問いを私たちに突きつけたのではないでしょうか。単に「無償化」を目指すだけでなく、「質の維持・向上」のために、行政が追加の予算を投じるという意識改革も必要です。
さて、私たち読者は、この問題に対しどう向き合うべきでしょうか。子どもの食の未来は、現場の努力や管理栄養士の献身だけに頼るのではなく、社会全体で給食の「適正価格」を認め、負担し合う仕組みを構築できるかにかかっています。
(LASISA編集部)

