
横浜流星が主演を務める大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)。森下佳子が脚本を務める本作は、18世紀半ば、町民文化が華開き大都市へと発展した江戸を舞台に、“江戸のメディア王”として時代の人気者になった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱と“エンタメ”に満ちた人生を描く“痛快”エンターテインメントドラマ。
「べらぼう」の物語も第36回の放送を終え、春町が亡くなるという悲しくつらい結末が描かれた。WEBザテレビジョンでは、黄表紙の先駆けとなり、真面目な性格の恋川春町を演じる岡山天音にインタビューを実施。役柄や作品への思い、印象に残る場面について語ってもらった。
■春町の人物像は一貫したものを抱いていました
――恋川春町を演じ終えたお気持ちはいかがですか?
愛着を感じた役でもあったので寂しさが大きいです。春町は同じ戯作者など“いつものメンバー”と切磋琢磨する描写が多かったので、その方たちと別れて次の場所に身を置くことが寂しいなという気持ちにもなりました。
――演じる中で、春町のイメージが変わった部分はありましたか?
春町が最後にどういう道をたどるのか、初めから聞いていたわけではなかったんです。ですが、恋川春町という人物を組み立てているいろいろな要素は最初に伺っていたので、イメージが変わるということはなく、人物像としては一貫したものを抱いていました。
――春町についてどのようにお聞きになっていたのでしょうか。
何かと気にしすぎる人だと。そうでありつつも、酔っぱらって暴れる話もあると聞いていたので、それを見据えて序盤の登場の仕方や表情などを考えていました。
――演じる上で、意識していた部分は?
最初の収録が、子供に絵を描いてあげるという場面だったんです。普通は子供と対面していたらふと笑顔になる瞬間があると思うのですが、演出の大原さんから「春町はそういうこともない方がいい」というお話があって。子供と接している場面でも笑うことができない春町は、不器用であり繊細な人なんだという解釈に至りました。もちろん春町の中にも喜怒哀楽の感情があるのですが、それを表に出すことについては平均的な感情表現とは違っていて。仲間たちと集まってみんなで喜んだり、悲しんだりするときも、春町は周りと少しずれている。春町の内側にあるものは人間として普遍的なものではあると思いますが、表現の仕方が他の人とは切り口が違うんだということは意識していましたね。
■仲間たちの弔い方に強く感情を動かされました
――第36回の台本を読まれた際はどのようなお気持ちでしたか?
僕が読む以前に、朋誠堂喜三二役の尾美(としのり)さんが最終的な台本になる前の準備稿に目を通されていらっしゃって。尾美さんから「読んだよ」と言われ、「僕まだ読めてないんです」と話す中で、「(第36回は)グッときた」と話されていたことを覚えています。
春町の最期に至るエピソードにもいろいろと感じるものがあるのですが、春町が亡くなった後の喜三二さんの佇まいや、仕事仲間たちの春町への弔い方に強く感情を動かされましたし、すごくすてきな台本だなと感じました。
――“いろいろと感じるものがある”とは、どのようなことでしょうか。
最後まで詰めが甘くなく、ただ死ぬという形では終わらせないという春町の信念を感じました。春町の死は、自身の中にある信念を全うしきった死にざまだと思っていて。多くの人の生き死にが描かれる大河ドラマの中で、死に向かっていく一人のキャラクターの姿がきちんと描かれているということが非常にありがたかったですし、こんなにも人格が投影された死にざまもなかなかないのではないかと思っています。本当に真面目で一貫した人で、ある種の狂気にも似た春町のスケールの大きさを感じました。


■愛すべき人にしたいという思いがありました
――春町の最期はとても丁寧に描かれていますが、そのシーンに臨まれる心境はいかがでしたか?
切腹の収録をする日は、「今日が最期の日だ」と思いながら家を出ました。これまでの経験から、俳優は何回死ぬんだろうと改めて思ったんです。その中でも、“明日死ぬんだな”“今日が最期の日だ”という感覚を持ちながら収録に臨んだのは初めてでしたね。自害するという最期だったこともあり、独特な気持ちでした。
――春町の最期として、“豆腐の角に頭をぶつける”という描写はいかがでしたか。
やはり人の最期の表現として前例のないものだと思いますし、切腹してどう豆腐に突っ込むかというところは演出の深川さんも試行錯誤されていらっしゃいました。春町の最期は、悲しさとユーモラスさが混じり合うような、人生の終わらせ方自体に春町本人の創作が入り込んでいるような、演じていても脳のいろいろな部分を刺激される興味深いものでした。
――春町が自害するに至ったことも含め、彼の生きざまをどう受け止めていらっしゃいますか?
お芝居をする中で、仮初めでも春町を生きるつもりでいましたが、人間社会の中で生きていくことが本当に大変だろうと思っていました。ですが、傍から見ていると、ある種の美しさやチャーミングさを感じる人だとも思っていて。だからこそ、春町は戯作というものに出会えてよかったと思うんです。僕も変わっている人だと思うので、それこそこの仕事をしていなかったらどうなっていたか分からない(笑)。そんな僕からしても春町は自分の美意識やこうでなければならないというものがありすぎて、とても生きづらい人だろうなと感じていましたね。
――どこかご自身と通じる部分を感じることはありましたか?
僕はどの役を演じる時もどこかにシンパシーは感じていて、等距離なんですよ。自分と似ているから、と特別思うことは少ないですね。そんな中でも、春町は面白いキャラクターですし、愛すべき人にしたいという思いはありました。本当に大切で大好きなキャラクターに自分の中ではなっています。
■廊下で少し涙ぐんでしまいました
――収録を終えて、特に印象に残っているシーンは?
酒を飲んで酔っ払って暴れて、そして次の回で戯作者や狂歌師たちの前で踊るという一連のシーンは印象に残っています。暴れるシーンに関しては、現場に入ってから割と序盤で撮っていたので、現場に対するドキドキもありましたし、みんなの前で発露しなければならなかったので、いろんなドキドキがあって。撮り終えて「ああ終わった、何とかなった」と安堵したことを覚えています。
――第36回の中で印象深いシーンはありますか?
春町の死後、蔦屋で春町の作品を並べる“春町キャンペーン”なるものをするというシーンがありましたが、春町が豆腐の桶に顔を突っ込んで亡くなったということにちなみ、桶の中に本を入れるというある種のブラックユーモアが描かれています。それがとても粋だなと。春町が死をもってしても笑わせようとした思いを無駄にしない、蔦重たちの弔い方が印象的でした。その場面については、演出の深川さんと事前に36回に向けて話している中で聞いたのですが、春町を演じた身としては天国からその光景を見ているような思いで琴線に触れましたね。廊下で少し涙ぐんでしまって気まずかったです(笑)。

■横浜流星さんは、本当に頼りになる蔦重でした
――初の大河ドラマ出演。大河ドラマならではの魅力をどのように感じられましたか?
やはり収録期間が長いので、共演者、スタッフの皆さんに特別な思い入れができますね。また“大河ドラマの主演”は、俳優の中でも限られた人しか体験することがない場所だと思いますし、唯一無二の戦場で戦っている人だと思うんです。そういう人の背中をすぐそばで見ることができるということも特別な経験だったなと感じています。
――「べらぼう」の座長・横浜流星さんの姿はどのように映っていましたか?
現場でとてもひょうひょうとされている印象があり、それがすごいなと。せりふ量や収録の順番なども含めて、尋常ではない過酷さがある現場だと思うんです。なかなか他の現場では試されないような部分を俳優として試されるのではないかと。ですが、それを全く感じさせないんです。演じる上でも蔦重として一本ブレない大きな幹があり、現場のいろんな方ともコミュニケーションを取られていて、すごくかっこいいなと思いました。
――一緒にお芝居をする中で感じたことは?
本当に頼りになる蔦重でした。春町として安心してその世界に飛び込めるような、頼りになる蔦重がそこにいてくれるということを感じていました。
――最後に、春町亡きあと、今後の「べらぼう」に期待していることは?
これから葛飾北斎や滝沢(曲亭)馬琴、東洲斎写楽など有名な人物が登場すると思うのですが、それがすごく楽しみで期待しています。僕自身が絵を描くということもありますし、日本画も折に触れて見てきたので、歴史的にもよく知られた人たちが「べらぼう」の世界ではどのように表現されるのかとても気になりますね。蔦重の人生もまだまだここからより濃くなっていくと思うので、非常に楽しみです。

