Webysther 20190718121610 - Santana de Parnaíba, Public domain, via Wikimedia Commons.
パレットの進化を追うことは、絵画技法そのものの発展史を辿ることに他なりません。古代の洞窟画家が使っていた貝殻から、現代アーティストが愛用する高機能素材まで、この小さな道具の変遷は、人類の創造性と技術革新の歴史を雄弁に物語っているのです。
古代から中世へ、自然素材から専用道具へ
人類の最初のパレット
人類が顔料を使って絵を描き始めたのは、遥か昔の旧石器時代にまで遡ります。スペインのアルタミラ洞窟やフランスのラスコー洞窟などに残された壁画は、約15,000年以上前に制作されたと考えられています。
当時の画家たちは、おそらく貝殻や動物の骨、平らな石などを「パレット」として使用していました。これらの自然素材に顔料(主に赤い酸化鉄や黒い木炭、白い粘土など)を置き、動物の脂肪や水と混ぜ合わせていたのです。
古代エジプトのパレット
ナルメル王のパレット, Public domain, via Wikimedia Commons.
古代エジプト文明では、絵画技術がさらに洗練されました。考古学的な発掘調査によって、古代エジプトの芸術家たちが使っていたパレットが数多く発見されています。大英博物館やメトロポリタン美術館には、石灰岩や木材で作られた長方形のパレットが収蔵されており、そこには複数の顔料を置くための窪みが彫られています。
これらのパレットは単なる道具以上の存在でした。古代エジプトでは芸術家の地位が高く、彼らの道具には職人の名前や奉納の言葉が刻まれることもあったからです。
中世ヨーロッパのパレット
中世ヨーロッパに入ると、絵画制作の形態が変化し、それに伴ってパレットの役割も変容します。この時期、絵画制作の中心は教会のフレスコ画や写本の装飾(ミニアチュール)でした。
フレスコ画では、まだ乾いていない漆喰の壁に顔料を塗り込むため、素早い作業が求められました。画家たちは小さな石板や陶器の皿を使い、限られた色数で効率的に作業を進めていたようです。
一方、写本装飾では、顔料を少量の糊や卵白と練り混ぜ、パレットというよりも小さな容器や皿で都度準備する方法が一般的でした。つまり、この時代における「パレット」の概念は、現代のそれとは異なり、色を混ぜ合わせる専用の道具というよりも、顔料を一時的に置く場所としての意味合いが強かったのです。
この時代の絵画を見ると、色彩が比較的単純で金箔が多用されているのが特徴的ですが、これは使用できる顔料の種類が限られていたことや、パレット上で複雑な混色を行う習慣がまだ確立していなかったことを反映しています。
ルネサンス期の技術革新と木製パレットの確立
イーゼルのある自画像-カタリーナ・ファン・ヘメッセン, Self-Portrait with easel–Catharina van Hemessen, Public domain, via Wikimedia Commons.
15世紀から16世紀にかけてのルネサンス期は、パレットの歴史においても画期的な転換点となりました。この時期に油彩画の技法が確立され、絵画表現の可能性が飛躍的に拡大したのです。
油彩画とは、顔料を乾性油(リンシードオイルなど)と混ぜて描く技法で、テンペラ画(卵黄などを結合材とする技法)に比べて乾燥が遅く、色の混ぜ合わせや重ね塗りがしやすいという特徴があります。油彩による繊細な混色の必要性が、携帯可能な木製パレットの普及を促したと考えられています。
オランダの画家Jan van Eyck(ヤン・ファン・エイク、1390年頃-1441)は、油彩技法の発展に大きく貢献した人物として知られています。彼の代表作《Arnolfini Portrait》(アルノルフィーニ夫妻の肖像、1434)には驚くほど細密な描写と透明感のある色彩が表現されていますが、これは油絵の具を薄く重ねる技法によって実現されました。こうした技法の発展に伴い、パレット上で微妙な色合いを作り出す必要性が高まったのです。
この時期から、木製の平らな板に親指を通す穴を開けた、現代でもよく見かけるパレットの形が一般的になりました。木材は軽量で持ちやすく、油絵の具の油分を適度に吸収してくれるという利点があるためです。特にクルミ材やマホガニー材などの硬い木材が好まれました。
画家たちは新しいパレットを使い始める前に、亜麻仁油を何度も塗り込んで表面を整える作業を行いました。これにより、絵の具が適度に混ざりやすく、また木材に染み込みすぎない表面が形成されたのです。
イタリアの巨匠Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1452-1519)は、パレットの使い方についても革新的なアプローチを持っていました。彼の残した手稿には、色彩理論に関する詳細な記述があり、パレット上で色を混ぜる際の順序や比率についての考察も含まれています。
《Mona Lisa》(モナ・リザ、1503-1519)で見られる有名なスフマート技法(輪郭線をぼかして柔らかな陰影を作る手法)は、パレット上での繊細な色作りがあってこそ実現できたものでした。
