国家の宝とされた“黄金の女
戦後、オーストリア政府はナチスに奪われた財産を整理するため、返還に関する法律を制定した。しかしその一方で、「国家が保管している作品は返還対象外」とする制度を設けた。
フェルディナントがすでに亡くなっていたこともあり、ブロッホ=バウアー家のコレクションは“国家への寄贈品”とみなされてしまう。こうして、《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》を含む5点のクリムト作品は、オーストリア・ギャラリー(ベルヴェデーレ宮殿)の所蔵品として登録され、「ウィーンの黄金時代を象徴する文化財」として展示されるようになった。
そのとき、作品のタイトルからユダヤ人の姓「ブロッホ=バウアー」は消され、「黄金の婦人(Dame in Gold)」という名で紹介されるようになる。
それは、個人の肖像が“国家の宝”へと変えられた瞬間だった。だが、その金色の輝きの裏に、名前を奪われた女性がいたことを知る人は、ほとんどいなかった。
亡命者としての人生
ロサンゼルスで新しい生活を始めたマリア・アルトマンは、長いあいだ祖母の肖像のことを公には語らなかった。ウィーンに残された絵は、もはや遠い過去の象徴だったからだ。
しかし、1998年。オーストリアでナチス略奪美術品の再調査が始まると、マリアは家族の遺産、そして祖母アデーレの名誉を取り戻す決意をする。その時、彼女はすでに82歳になっていた。
