クリムト《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》―奪われた名をめぐる、芸術を超えた“人間の尊厳”の物語

国を相手取った闘い

マリアはオーストリア政府を相手取り、作品の返還を求めて訴訟を起こす。マリアの決意には感情だけでなく、明確な根拠があった。

亡命先のスイスで亡くなったアデーレの夫フェルディナントは、遺言で自らの資産の相続人として甥や姪を指名していた。その中には、愛する姪であるマリア・アルトマンの名もあった。つまり彼女は、《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》の正式な相続人だったのだ。

にもかかわらず、オーストリア政府は「アデーレの遺言により作品は寄贈された」と主張し、返還を拒んだ。その遺言の文面は“夫への希望”として書かれたもので、法的拘束力を持つ遺贈ではなかった。

裁判は長期化し、ついにはアメリカ合衆国最高裁まで持ち込まれた。2004年、最高裁は歴史的な判断を下す。「個人は外国政府を相手取って訴訟を起こすことができる」と。この判決により、マリアの訴えは正式に認められた。

彼女は語った。

「これはただの絵ではない。家族の記憶であり、失われた尊厳を取り戻すための闘いなのです。」

名を取り戻すということ

2006年、長い闘いの末、ついに《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》を含む5点のクリムト作品が返還された。

2006年3月、ウィーンで絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアー」に別れを告げるポスター 2006年3月、ウィーンで絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアー」に別れを告げるポスター。, Public domain, via Wikimedia Commons.

それは、単なる所有権の回復ではなく、「名前を取り戻す」ことそのものだった。ナチス時代にユダヤ人の姓を消すため、「ブロッホ=バウアー」という名は作品から抹消されていた。

アデーレの名前が戻ったことで、絵は本来のタイトル《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》を正式に取り戻す。それは、失われた記憶と尊厳を蘇らせる象徴的な出来事だった。

配信元: イロハニアート

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