第4章「語り出せないのか」
ここでは、モチーフが人物から離れ、静物や神話的なイメージへと広がります。
家蚕や十穀を盛った須恵器、熟した洋梨の絵。台の上には、モチーフとなった古い骨格標本や石膏模型が並びます。これらはかつて“生きていたもの”であり、“人と関わっていたもの”でもあります。
会場のようす
諏訪が関心を寄せたのは、世界各地に伝わる「食物穀物起源神話」。
殺された女神の身体から食物植物の種が生まれるという伝承を、静物を通じて再演するように描いています。
物は沈黙していますが、その中に“人の気配”が宿る。
静物と人物のあいだを往還する諏訪の探求が、この章に結晶しています。
第5章「汀にて」
そして最終章、《汀にて》が現れます。
諏訪敦《汀にて》2025年
この作品は、コロナ禍で誰とも会えず、モデルを立てられなかった時期に描かれました。
介護のためにアトリエにこもり、母を看取った後、諏訪は次第に「もう人を能動的に描けない」という感覚に包まれていきます。
それでも描くことをやめず、彼は人間の代わりに“人の形をしたもの”をつくることから始めました。
骨格標本、外壁充填材などを組み合わせ、漂着物のような“人型(ひとがた)”をつくり、それを描いたのです。
《汀にて》制作のために制作した「人型(ひとがた)」諏訪敦《汀にて(Bricolage)》部分 2025年
タイトルの《汀にて》は、海と陸の境目、つまり「生と死」「人物と静物」のあいだを意味します。
「母を静物画のように描いた自分は、ちゃんと悲しむことができない。
こんな人間のもどきなのかもしれない。」
——諏訪敦(展覧会ステートメントより)
諏訪敦《汀にて Drawing 06》2025年
この作品は、描けなくなった画家が、再び“人を描く”までの時間を可視化した絵画です。
制作過程を記録した映像も上映され、諏訪が静かに手を動かし、素材を組み替えながら、失われた身体を呼び戻していく様子が映し出されています。
観る者は、画家とモチーフが同じ時間を生きるような感覚に包まれます。
会場で流されるドキュメンタリー映像
また、作家・藤野可織による短編小説『さよなら』がハンドアウトとして配布され、
絵画と文学が交錯する設えも施されています。
沈黙の中から、物語がもう一度生まれようとする場所、それが、この最終章の《汀にて》なのです。
