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“トレンディエース”西崎幸広の知られざる原点…病床から始まった野球人生と華やかなプロ時代の舞台裏<プロ野球 レジェン堂>

“トレンディエース”西崎幸広の知られざる原点…病床から始まった野球人生と華やかなプロ時代の舞台裏<プロ野球 レジェン堂>

「プロ野球レジェン堂」
「プロ野球レジェン堂」 / (C)BSフジ

11月11日に放送された「プロ野球 レジェン堂」。今回のゲストは、1986年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団し、“トレンディエース”として一時代を築いた西崎幸広だ。切れ味鋭いスライダーで三振の山を築き上げたレジェンドが、MCの徳光和夫と遠藤玲子とともに自身の生い立ちからプロ入り後の知られざる舞台裏までを赤裸々に語った。

■事故と病を乗り越えた少年時代と野球を始めたきっかけ

西崎の野球人生は、小学生時代の事故が大きく関わっている。若年性リウマチを発症し、半年間の入院生活を余儀なくされた幼少期。久々に登校したある日、友人たちが楽しそうに野球をする姿を見て“自分もあの中に入りたい”と思ったことがすべての始まりだった。それまでは体が弱く、鼓笛隊でトランペットを担当していたというから意外だ。

野球を本格的に始めたのは小学6年生から。野球初心者の場合、まずは野手からスタートするケースが多いが、西崎ははじめから投手を希望したという。MCの徳光が「よくはじめからピッチャーができましたね」と尋ねると、西崎は「野手はノックを受けたりキツいじゃないですか。ピッチャーは楽そうだと思って」と当時の本音を告白。しかし実際に始めてみると「一番練習がキツかったのはピッチャーでしたね」と、オチをつけながら振り返った。

高校は地元の県立校である瀬田工業高校へ進学。野球でスカウトされたわけではなく、自宅から自転車で行けるほどの距離だったことが進学の決め手になったという。甲子園には2度の出場機会がありながら一年時はベンチ外、三年時は敗戦処理に回るなど、華々しい思い出はなかった。西崎は「甲子園の良い思い出はない」と苦笑したが、徳光は「敗戦処理投手から、後にトレンディエースになった。そういう意味ではすごいレジェンドですね」と労いの言葉でフォローする。

■キレのあるスライダーの誕生は“遊び”から…そしてドラフト1位で日本ハムへ

高校卒業後はプロから声がかからず、愛知工業大学へ進学した西崎。ある日、遊びでサイドスローから投げたカーブが予想以上に曲がったことがきっかけとなって西崎の代名詞ともいえるスライダーが誕生した。この意外な誕生秘話には、徳光も思わず驚嘆の声を上げる。

大学時代、西崎は1試合最多23奪三振という驚異的な記録を樹立。愛知大学リーグでチームを4連覇に導き、明治神宮大会での活躍もあって投手として一気に注目を集めることに。卒業後は社会人チームへの内定が決まっていたが、プロ11球団も挨拶に訪れた。とはいえ「多分ないだろうなと思っていた。ドラフト1位指名以外なら社会人チームへ入ろうと思っていた」という。

そんなこと思っていたドラフト当日、蓋を開けてみると日本ハムがまさかの1位指名。ところが当時の西崎は日本ハムがどういう球団なのかわかっておらず、記者に対して「日本ハムの本拠地はどこですか?」と尋ねてしまったほど。今では想像もつかないようなエピソードに、スタジオも大いに沸く。

プロ入り直後の4月に初勝利を挙げ、1年目から15勝7敗、防御率2.89と大活躍を果たした西崎。新人王を獲得してもおかしくない成績ではあったが、同期で入団した阿波野秀幸も好成績を挙げていたため惜しくも逃してしまう。しかし記者の間で「この成績なら2人に新人王をあげてもいいのでは」という声が上がったことで、西崎のために「パ・リーグ会長特別賞」が創設されるという異例の待遇を受けた。

■“トレンディエース”の光と影…プロ人生を支えた恩義と覚悟

西崎といえば、細身の体に最先端のファッションをまとった“トレンディエース”としてのイメージが強い。バレンタインデーにはチョコレートだけでなくお見合い写真まで届いたという人気ぶり。多くの女性ファンを獲得すると同時に、パ・リーグへの注目が高まるきっかけにもなった。

当時の心境を徳光が尋ねると、西崎は「最初はちょっと嫌でした。野球にトレンディは関係ないだろと思ってました」と苦笑いを浮かべながら本音を吐露。一方で「ゴルフウェアにパンチパーマ、ブレスレット、サングラスみたいなファッションは嫌だなと思っていた」とも語り、自身なりのスタイルを貫いていたことを明かす。

そんな人気絶頂期にあった西崎だが、90年代に入るとケガなどの影響で成績は低迷。1997年にはついに日本ハムから戦力外通告を受ける。その直後、声をかけたのが当時西武の監督を務めていた東尾修だった。西崎は「監督が辞めるとき、僕も辞めます」と東尾に誓い、背番号「21」を受け継いでチームを牽引。精神的支柱としても存在感を放ち、1998年のパ・リーグ優勝に貢献する。

番組の中で強く印象に残ったのは、西崎の華やかさの裏にある堅い芯だ。甲子園での悔しさをバネに大学で開花した投手としての才能、プロでの栄光と挫折、そして徳光・遠藤とのトークで見せた真摯な姿勢…どの場面にも素直でまっすぐな性格がにじみ出る。またトレンディエースとして脚光を浴びる一方で、東尾監督への恩義を貫く姿勢には派手さとは対極にある1人の人間としての誠実さも感じられた。彼から飛び出る言葉の端々にこそ、レジェンドたる理由が詰まっていたと言えるだろう。

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