「気づく人」が負け、「気づかない人」が得をする構造
職場のゴミ箱、ティッシュ、コーヒーの補充……。気づいたら、いつも動いているのは“私”だけになっていませんか? SNSで今、「気づいた人がやる文化は、真面目な人を疲弊させる」という投稿から、《ゴミ箱論争》が勃発中。この構造は、実は家庭内の家事にも全く同じ形で当てはまります。真面目な人ほど損をするこの問題から解放される方法はあるのでしょうか。
今回の議論の発端は、元々「品質文化」について投稿された、とあるユーザーの鋭い指摘でした。
「気づく人はいつも同じで、気づかない人は何をやっても気づけない」
「『気づく力』を持つ人が疲弊し、『気づかない人』がのうのうと残る組織は、いずれ品質問題を見逃す」
この指摘が、ゴミ箱を例にすることでさらなる共感を呼びました。その核心は、「気づいた人がやる文化は、結局、気づく人が損をするだけ」という構造です。真面目で、気が利き、気配りができる人ほど、この「名もなき仕事」のコストを払い続けることになります。
職場だけじゃない!家庭の家事にも当てはまる「ゴミ箱の法則」
この「気づいた人がやる」問題は、会社だけでなく、パートナーや家族との生活でも全く同じ現象として表れています。
・職場のゴミ箱 = 家庭のゴミ出し、洗剤・トイレットペーパーの補充
・職場のシュレッダーのゴミ = 使用後の食器のシンクへの運び方、洗濯物のたたみ方
職場だけでなく、家庭内でも「名もなき家事」に代表されるの「気づき疲れ」が、職場と家庭の両方で蓄積され、大きなストレス源になっているのです。

