謝罪を終えたはずのゆかりさんに、久美子さんから自宅にくるよう要求があります…。夫とともに謝罪に向かうが、待っていたのはまさかの「慰謝料請求」。母としての誠意が試される瞬間でした。
終わりの始まりに過ぎなかった園での謝罪
謝罪の翌日、私は久しぶりに肩の力を抜いて園に向かいました。昨日の面談で、先生も園長先生も「これで大丈夫です」と言ってくれたし、久美子さんもあの場では納得した…ように見えました。
きっとこれで、終わったんだ…。そう思いながら、たつきの手を引いて門をくぐったその瞬間。
「沢田さん」
突然、声をかけられました。振り返ると、久美子さんのそばでよく見かける取り巻きのママでした。話したこともない相手からの声掛けに固まっていると声をひそめてこう言うのです。
「久美子さんが、ちょっとお話したいって…」
「風の噂で聞いたんですけど、お子さんがケガさせちゃったんですって?解決するといいですね…」
彼女たちは一方的に話し「これ、久美子さんのお宅の住所です」と紙を渡していかれました。久美子さんも自分で渡しにくればいいのに…。いつもお迎えの時間が合わないので、ほかのママに託したのでしょうか。
まさかこんなに問題が尾を引くなんて。私は立ち尽くしたまま、園庭で遊ぶ子どもたちの声を遠くに聞いていました。
帰宅後、夫に話すと、夫は「それって行く必要ある?」と呆れたように言いました。
「行かなくていい気がするけど、行かないほうがあとで面倒かも。ねえ、あなたも一緒に来てくれるよね?」
夫婦そろって謝罪に行く、というスジを通すことと、夫がいれば久美子さんのペースに巻き込まれないのではという算段です。夫は身長180㎝超えの大男でガタイがよく、隣に座っているだけでも、いろいろな意味で抑止力になりそうな人なので。
私は当日までに、デパートで人気のお菓子を買いました。
「しっかり謝って、終わらせたい」
お菓子の紙袋の持ち手をぎゅっと握り、解決を祈りました―――。
謝罪のあとに突き付けられたもの
当日、夫と連れ立って訪問すると、久美子さんは落ち着いた顔でドアを開けました。とはいえ、どこか刺すような雰囲気があります。その奥には久美子さんの夫も見えました。
リビングに通され、私たちは謝罪の言葉を述べようとしました。
「本日は、改めてお時間いただき、ありがとうございます。先日は、園でのご対応も…」
久美子さんはそれを遮り、静かな、強い口調で言いました。
「それはもういいんですよ。ですが、うちの娘が痛がってたのは事実です」
夫が「息子に代わり、お詫び申し上げます」と頭を下げた、その瞬間でした。
「病院にもかかりましたし、その治療費と慰謝料をお支いいただかなければなりません」
久美子さんは、私を一瞥したあと、確かにそう言いました。
…え?
「言葉だけじゃ済まないことってあると思うんです。誠意ってものがあるでしょう?」
私は何も言えませんでした。正論のように聞こえるけれど、違う気がする。1歳半の子の噛みつきで、慰謝料だなんて。つっぱねていいことだとわかっているのに、言葉が出てきませんでした。
「確かに息子が噛んでしまったことは事実です。でも、こうしてお詫びにきて私どもなりに誠意をお見せしているつもりなのですが」
言い返した夫の声にはわずかに怒りがにじんでいます。すると、久美子さんは少し声を大きくして言いました。
「女の子の体を傷つけたんですよ?娘はどんなに怖かったかわかります?」
ボルテージが上がってきた久美子さんを刺激したくなくて、慰謝料については、その場で否定することも、断ることも、何もできませんでした。
「正しいご判断をされることを望んでいます」
久美子さんはきっぱりと言い、私たちはもう一度深く頭を下げ、逃げるように久美子さんの家をあとにしました。

