没後40年、いま出会うシャガール──「花束」が語る愛と祈り【ギャルリーためなが】

愛と喪失を越えて

その後、パリへ戻り制作を続けますが、第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤ人であったシャガールはナチスの迫害を逃れてアメリカへ亡命します。

しかし亡命先のニューヨークで、最愛の妻ベラを肺炎で失ってしまいました。深い悲しみの中にありながらも、彼は再び筆を取り、戦後は南フランスの光のもとで制作を再開します。

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リトグラフ、ステンドグラスなど表現の幅を広げながら、“祈るように描く”ことを続けました。

晩年はヴァンスに居を構え、ピカソやマティスとも交流。フェルナン・ムルロの工房では、名刷師シャルル・ソルリエと出会い、多くのリトグラフを残します。

ソルリエによって刷られた作品は“ソルリエ版”として知られ、現在も高く評価されています。今回の展示では、地下1階にその時期の本画が並び、版画制作の息づかいを間近に感じることができます。

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光と祈りの色彩──オペラ座の天井画へ

1964年、シャガールはパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の天井画を完成させ、画業の頂点を迎えます。

この頃すでに80歳近くでしたが、シャガールの創作意欲は衰えるどころか、ますます豊かに。
晩年の作品には、青や深紅、黄金色といった“祈るような色”が満ちています。スタッフの方が語った「80歳を過ぎても、むしろ色がどんどん豊かになっていくんです」という言葉が印象的でした。

作品の前に立つと、まさにその言葉どおり。青が深く息づき、赤が温かく揺れ、光が静かに滲む──まさに“生きている色”がそこにあります。

配信元: イロハニアート

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