「セルフケアをすべき」とは言いたくない
――ところで、この本には「ケア」という言葉はあまり出てこないですね。終電:使わないように意識したところはあります。「ケア」という言葉はよく使われるようになりましたけど、その文脈が変化していって、「セルフケアをすべき」、「自分の機嫌は自分で取れ」という、自己責任的というか、あまりよくない方向にいっている気がするんです。
――ただし絶対に終電を逃さない女さんご自身は、セルフケア的なことを実践されています。
終電:そうです。私は結果的にセルフケアができちゃってるというか、努力によってそれを獲得できたと思っています。だからこそ、努力を人に強いることはしたくないんですよね。それに、「どうしてもセルフケアができない人」がいることも見てきたので、そんなに簡単なものじゃない。だから「絶対に終電を逃さない女はセルフケアできているから、それを推奨している」と読まれたくないと思って、この本ではあえて使わないように意識しました。
――社会に浸透するにつれて、言葉の意味が広がって変わってしまうことってありますよね。「虚弱」もそうなる可能性があるという危惧はありますか?
終電:そうなる可能性もあるでしょうね。でも、それはある意味で社会に浸透したということ。ずっと「見えない存在」でいるより、ずっとマシなんじゃないかと思っています。
<取材・文/藤谷千明 撮影/山川修一>
※次より、『虚弱に生きる』収録の「美容の八割は健康」の試し読みができます
美容の八割は健康
お菓子に対する子供の熱量の高さというのは、異常なように思える。私も小学生の頃は子供が食べがちなスナック菓子を日常的に食べてはいたが、周りの子に比べると積極性は低く、子供はお菓子が好きでお菓子を与えておけばいいと思っている大人に与えられたお菓子を、まあ嫌いではないから惰性で食べているという感じだった。遠足や修学旅行などのおやつも、別に要らないと思っていた。
大学入学時には、サークル新歓期間にどこのブースに行っても安価なお菓子を提供されることに辟易とした。どいつもこいつも早稲田に入ってまで思考停止的にお菓子を出しやがって、みんながお菓子を食べるものだとでも思っているのか。
その挙句、お菓子を遠慮すると「ダイエット?」「美容のために?」などと聞いてくる。いや、お菓子あんまり好きじゃなくて、と答えると、そんな人がいるのかと驚かれる。
心外だった。単に好きじゃないだけなのに、女がお菓子を食べないというだけで、美容に熱心だと思われるのか。
だからあるサークルで出されたお菓子を遠慮して「お菓子って別に美味しくなくないですか?」と言ったら、先輩の一人が「わかる、普通にご飯のほうが美味しくね?」と共感してくれた時は嬉しかったものである。
お菓子は好きではないから食べなかっただけで健康を意識していたわけではないが、二十代後半から健康に気を遣うようになると、美容に気を遣っている人だと思われることがさらに増えた。
食事管理、運動、早寝早起き、毎日の入浴、部屋の湿度管理。健康に良いことはだいたい必然的に美容にも良い。 美容に関心がないわけではないが、健康であれば美容もついてくるはずなので、健康のことだけを考えていればいいと思っている。
なのに女が健康に良いことをしていると、美容のためだと思われるのだ。
健康志向の近年では、不健康なダイエットは時代遅れとされている。SNSやYouTubeを見ていると、美容意識の高い今どきの若い女性たちは「垢抜け」や「自分磨き」のためにピラティスやヨガに通い、健康的な食事を心がけ、長風呂を習慣にしている。実際に私のライフスタイルは結果的にではあるが、ていねいな暮らし界隈やボディメイク界隈、美容界隈のそれと限りなく近いものになっていると言えるだろう。
そうした文脈に、乗せられたくない。そういう人たちと、同じだと思われたくない。健康体という土台のある人たちが、さらなる高みを目指しているのとは次元が違う。虚弱界隈の私は、自分を磨く段階には程遠い。保育園の頃ピカピカの泥団子作りにハマっていた時期があったが、大人になった私は一向に固まらない泥を固めようとし続けているような、泥臭くて虚しい努力ばかりしているのだ。
一番惨めなのは、「そんなに努力してその程度?」と思われることである。この通りこれだけ健康に気を遣っていても不健康なので、当然と言えばそうなのかもしれないが、私はいかにも美容に気を遣っていそうな見た目に仕上がっているわけではない。筋肉が少なく凝りが酷いので姿勢が悪いし、血行が悪いので浮腫みや顔の肌のくすみなども酷いし、髪も年々細くなってきている気がする。
だが最近、美容のためではないとも言い切れなくなってきた。
歳をとって太りやすくなったからである。
二十代半ばから徐々に太り始め、去年の六月には過去最高体重を記録した。見た目的にも明らかに顔や腹部に無駄な脂肪がつき、人生で初めて「痩せたい」と思った。生まれた時からずっと痩せていたので、信じられなかった。
原因はおそらく、自転車と小麦である。
三月に自転車を買ったのだが、徒歩より自転車のほうが運動になると思い込んでおり、同じ距離の場合徒歩のほうが消費カロリーが多いことを知らなかったので、徒歩移動を自転車に置き換えてしまっていたのだ。
小麦に関しては、基本的に米(主に玄米)派なのだが、五月あたりからふと思い立ってパンを取り入れたり、その他にもお好み焼きを作って食べたりと小麦を摂取する機会が増えていた。
かくして私は、健康という原義のダイエットではなく、痩せるという狭義のダイエットを、人生で初めて行なった。
小麦の主食を避け、徒歩移動と自転車での長距離移動を増やしたところ、一ヶ月ほどで一〜二キロ痩せて自転車を買う前の体重と見た目に概ね戻ったものの、お腹だけは戻り切っていないように見えた。
歳をとるとお腹に肉がつきやすくなるって本当なんだなあ。
姿見に映る自分を見て、これ以上太りたくないと強く思った。なるべく綺麗でいたいと思った。
所詮ルッキズムなんだなあとも思った。
太ったと言っても体重的にはまだ痩せているほうだし、筋肉量が少なく体脂肪率の高い隠れ肥満ではあるものの健康を損なうほどの脂肪量には達していない。見た目としても普通の範囲内だろう。
それなのに痩せていたいと思うのは、要領が悪く体力がなく、年齢相応の社会性や経済力、社会的地位を有しておらず、母親にもなれない女である私は、せめて外見くらいはなるべく垢抜けていないと、本当に惨めな存在だと見なされてしまうのではないか、という恐れを抱いているからである。
経済力がないので美容医療には手を出せないし、服も二十代前半に買った古着ばかりを未だに着ている。太ったら着れなくなるのも困る。いい歳をしてチープな服でもなるべくかっこよく見せるには、健康的な肉体が不可欠なのではないか。
美しくなるためには、健康を頑張るしかない。
これ以来、私の健康になるための努力には、美容というモチベーションが上乗せされている。
やはり美容の基礎は健康なのだと実感させられることも少なくない。体力をつけるために始めたジョギングで、結果的に脂肪が落ちた。肌や髪の調子も少し良くなり、以前よりは浮腫みにくくなった。筋肉を増やすために始めた食事管理のおかげで、踵と唇が乾燥しにくくなり、筋肉が増えて姿勢も少しは改善した。
健康になりたい。あわよくば美しくもなりたい。
そう思いながら私は毎日全裸で鏡の前に立っている。健康になりたいだけではいられない自分に、悔しさを滲ませながら。
【絶対に終電を逃さない女】
1995年生まれ。大学卒業後、体力がないせいで就職できず、専業の文筆家となる。様々なWebメディアや雑誌などで、エッセイ、小説、短歌を執筆。単著に『シティガール未満』(2023年、柏書房)、共著に『つくって食べる日々の話』( 2025年、Pヴァイン)がある。
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