12月3日(水)19時半より、上野千鶴子さん、鈴木涼美さん、伊藤比呂美さんによる、オンライントークを開催します。テーマは、「結婚すること、産むこと、育てること。そして老いること、ケアすること」。開催を前に、昨年6月のお三方のトークをまとめた電子書籍「限界から始まる、人生の紆余曲折について」より、一部を抜粋してお届けします。ここから1年半経った12月3日のトークもぜひご覧ください。

「上野千鶴子ラインから、伊藤比呂美ラインに鞍替えしました」
上野 日本の女性も「日本の男はダメ」と言ってますよ。そんな日本の男を見限って、外国の男を選んだのが比呂美さんだよね。
伊藤 (笑)後悔しましたよ。
上野 比呂美さんは、自身の娘時代には摂食障害を経験し、娘の母にもなっている。あろうことか3人産んだ子どもが全員娘だったのだから、すごい。娘としても母との葛藤を経験し、母としても母─娘の関係を経験し、なかなかご苦労なさったんですよね。
伊藤 はい。
上野 涼美さんはしばらくお目にかからない間に、ご妊娠なさったそうですね。
鈴木 ええ。この往復書簡を書いていたのが36から37歳のときで、結婚もしていないし、子どももいないのだから、このまま子どもは作らない人生を生きるのだろう、上野さん路線で行く自分を想像していたのですが、今年に入って妊娠が発覚、伊藤さんラインに鞍替えすることに(笑)。
上野 想定外のことが起きるのが人生の面白さですが、涼美さんには心からおめでとうを申しあげます。もしあなたのお母様が生きておられても、「おめでとう」と言ったと思います。子どもというのは、母になった女からしか生まれない。そして、母になった自分から生まれた娘が母になる選択をすることを喜ばない母は、ほぼいないので。
鈴木 なるほど、はい。一瞬、上野さんがイタコになって母親を呼んでくれたようでした、ありがとうございます。
伊藤さんに文庫版用の解説をいただいたときは、まだ妊娠していませんでした。私はこの往復書簡でも、エッセイや小説でも、母親の話をかなりこだわって書いてきたので、伊藤さんから解説で「母にこだわりすぎる娘」についての言葉をいただいてもまだ、そうは言っても私にとってはやっぱり母が一番大きいしなと思っていたんです。
その後、妊娠がわかり、どうやら女の子らしい、と。「娘が生まれるという恐怖心から子どもを作る選択肢をとらなかった」と書かれている上野さんにとっては、娘を産むというのは恐怖以外の何ものでもないのでしょうけれど、私は産もうと思って。
すると、それまで自分に直接的にかかわりがなかったので熱心に読んでいなかった作家の子育てエッセイやエッセイ漫画に興味が湧いてきました。いくつか読んでみたところ、息子についての作品がすごく多い一方で、娘についてのエッセイはさほど多くなかった。娘は母についてすごく語るけど、母は娘についてさほど語らず、むしろ語られる側に回るんだな、と思いました。
上野 何をおっしゃる。伊藤さんは娘についていっぱい書いていますよ。
鈴木 ええ。伊藤さんはすごくレアなケースです。伊藤比呂美以外で、娘がテーマのエッセイってものすごく少ない。中でも幼児を描いたエッセイ漫画のほとんどは息子が主人公です。
伊藤 面白い。さすがに社会学者ってのはすごいもんですね。なるほど、そうきたか。確かにそうかもね。ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』も息子の話だもんね。
まあ、表現者に息子が生まれるケースがたまたま多かった、というだけのような気もしますけれど。だって私たちって目の前にいれば書かざるを得ない。私は息子でも書いていたと思いますよ。
上野 息子と娘が生まれる確率は半々なのに、書くのはもっぱら息子の親だというのは、なるほどと思いますね。息子の方が対象化しやすいのでしょうか。
そういえば、出産、育児をエッセイに書く人はいても、それを小説にする女性作家ってあんまりいませんね。女にとってあれほど切実な経験なのに。

