先日、大阪でACP(アドバンス・ケア・プランニング)をテーマにした大規模なイベントが行われ、医療・介護関係者や一般市民など多くの人が参加しました。
「自分は人生(特に終末期)をどのように生きたいか」を考えるのがACPです。
しかし、ほとんどの人は人生の終末期は誰かの支えが必要になります。
ですから予め家族や医療・介護関係者など周囲の人たちに自分の考えや希望をしっかりと伝えておかなくてはいけません。
そして、ある日突然ケガや病気などで自分の意思を伝えることができなくなるかもしれません。
そのため、ある程度元気なうちに周囲の人たちとの話し合いをしておくことが重要です。

しかし、イベントの中では「誰と、どのように話し合えばいいのか悩んでいる」という声が多く聞かれました。
ある年配の男性は「妻からは『最期だけ人生が自分の思い通りになると思ったら大間違い』と言われている」とこぼしていました。
もちろん、これには家庭内で自分の立場が弱いという冗談も含まれているのでしょうが、自分の意思と家族の考え方が異なるケースは十分に考えられます。
ACPでは「本人の意思が最優先」が大原則です。
とは言っても家族側は経済的・時間的な事情などでそれを叶えることが難しいケースもあります。
こうした場合に、遠慮せずに何でも言い合える家族ほど互いの主張がぶつかり合ってしまい、関係をこじらせてしまう可能性があります。
参加した高齢者や高齢の親を抱える人たちからは「家族には逆に本音を言いにくい」といった声がたくさん挙がっていました。

医師はどうでしょうか。
高齢者になれば誰でもかかりつけ医ぐらいはいるでしょう。
しかし出席した医師からは「外来医は患者の自宅に行くことがないので、細かい生活の様子や家族との関係などについては患者本人の口から語られる以上のことは知りようがない」といった意見がでました。
また、この医師は「多くの人にとって医療機関で医師と会話するのは『よそ行き』の感覚になる。
本当はちゃんと食事を摂れていないのに『バランスの良い食事を心がけています』など、知らず知らずのうちに話を盛ってしまう可能性がある」と、医師の前では本音が出にくいという現実を指摘しました。
また、本来は良くないことなのですが、高齢者を取り巻く関係者の中には「医師の立場が一番上」という潜在意識が存在します。
医師があまり前面に出てしまうと、医師の意見がACP全体の方向性を決めてしまいかねません。
こうした点を考えても医師は「不可欠ではあるが、主役ではない」という立ち位置がベストかもしれません。

では、誰が適当なのでしょうか。
「本人が肩肘張らずに話しができるが、家族ほどには我儘や無理難題を言わない」「本人の自宅を定期的に訪れ、飾りのない生活の様子を知っている」という点では、訪問ヘルパーや訪問リハビリテーションスタッフ、訪問看護師、ケアマネジャーなどが挙げられるのではないでしょうか。
特に、リハビリや入浴介助の最中などは本人の身の上話や愚痴などを聞くいい機会です。
しかし、その場では傾聴したり相槌を打ったりしてうまく対応できていても、それを持ち帰って社外の人を含む多職種で共有するという思考をもっていたり、実際にそうした仕組みを構築しているケースはあまり多くないのではないかと思います。
この背景には「利用者のプライバシーに関わることは口外してはいけない」という意識もあるかと思われます。
確かにそれは大事なことですが、一方で利用者自身が望む生活を実現する上ではある程度はオープンにする必要もあります。
このあたりのバランスをいかに取っていくかが介護従事者には求められていると言えます。
介護の三ツ星コンシェルジュ



