
俳優・溝端淳平が、11月7日(金)から東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで上演される舞台「狩場の悲劇」に出演する。140年前に書かれたアントン・チェーホフの長編ミステリーを舞台化した本作で演じるのは、彼のパブリックなイメージとは真逆とも言えるサイコパスのような元判事・セルゲイだ。映像と舞台を行き来しながら進化を続けてきた溝端が、今だからこそ明かす舞台への本音とは。本作の見どころとともに話を聞いた。
■13年ぶりの永井愛との再タッグで、一筋縄ではいかない難役に挑む
――今回、脚色・演出を務める永井愛さんとは2012年の舞台「こんばんは、父さん」以来、13年ぶりのタッグになりますね。
「こんばんは、父さん」は、平幹二朗さんと佐々木蔵之介さんとの3人芝居でした。当時もすごく大きなことだと思っていましたが、年を重ねるほどに「すごい作品に出させていただいたんだな」と。永井さんが、それこそ千本ノックじゃないですけど(笑)、平さんや蔵之介さんに対しても僕と同じように地方公演も含めて毎日、修正点やアドバイスを書いたノートを渡していて、その姿勢や熱量も含めて貴重な経験でした。またご一緒したいと思っていたので、念願かなってうれしいと思うと同時に、今は「もう1回たたき直してもらおう」という気持ちです。
――本作「狩場の悲劇」は、ロシアの作家・チェーホフの長編ミステリーを永井さんが脚色。溝端さん演じる元予審判事のセルゲイが、実際に遭遇した殺人事件を題材に書いた小説をモスクワの新聞社に持ち込むところから始まる愛憎劇です。
物語の8割は、セルゲイが書いた小説という“作中作”になっていて、かなり独特な作品です。いろいろとトリックもありますけど、当時のロシアの富裕層や貴族たちの雰囲気をどんなふうに永井さんが立ち上げていくのか、というのも見どころになると思っています。
――演じるセルゲイを、どんな人物だととらえていますか?
単純に言うと、セルゲイは秀でている部分と欠落している部分の差が激しい人物です。頭が良くて知識も豊富で、ある程度の常識もあるけど、人間的なモラルが完全に欠如している。ちょっと不気味というか、サイコパスのような人物なのかなと。難しい役どころです。
――どのようにアプローチしていこうと考えていらっしゃいますか?
善人か悪人かというよりも、人間として筋が通っているかどうか、それを大事にしたいと思っています。ただ、セルゲイは目の前の欲求には忠実だけど、人生における大きな欲求がないタイプの人間です。空っぽな部分を抱えながらも、妙なエネルギーを放つ人間をどう演じるか。そこが難しくあり、面白いところですね。
この作品に出てくるのは、セルゲイ以外もクセのある人間ばかり。それを、永井さんがどう演出するのかも楽しみです。「こんばんは、父さん」もそうですけど、永井さんの演出はぬくもりがあって、誰が見ても刺さるような現実の生活に直結したものが多い。でも、今回は共感するのが難しいタイプばかりで、それをどう人間ドラマにするのかなと。そもそも原作は、140年前に書かれたものですから。それをなぜ今、舞台にするのか。その意味を僕も知りたいし、永井さんはきっと舞台上に提示してくれると思っています。
――クセのある人物だというセルゲイと、さわやかなイメージがある溝端さんは真逆の人物にも思えます。
いや、僕自身、結構ひねくれている部分もあるんです(笑)。細かいところとか、見なくてもいい余計なところに気付いてしまうとか、そういう注意深さはセルゲイと似ているかもしれません。そういう一面があることを永井さんに見抜かれているのかな。だから今回「セルゲイを」と言ってもらえたのかと思うと、ちょっと怖いですね(笑)。

■きっかけは日本を代表する演出家との出会い「演劇的な筋力が衰えないように」
――約20年近く俳優活動を続けてこられている溝端さん。連続ドラマや映画を軸に、舞台作品にもコンスタントに出演されています。
デビューしたばかりのころは若手俳優ブームの時代で、テレビにもたくさん出させてもらいました。それこそ「週刊ザテレビジョン」(2008年10月10日号~2009年3月6日号『イトバタ会議中!』)で連載も持っていたんです。でも、当時は自分のやりたいことや仕事の内容と実力が見合っていないんじゃないか、と悩んでいたところもありました。
そんなときに、蜷川(幸雄)さんに出会ったのが大きかったです。舞台は、生でお客さまの前でやるお芝居。一番試されるし、ごまかしがきかない。エネルギーも必要です。そういう場に身を置くことの大切さを知ったからこそ、演劇的な筋力が衰えないように定期的に舞台に立ちたいと思うようになりました。
もちろん舞台は大変なことも多い。「今日できたけど、明日はどうなるか分からない」という緊張感もあるし、公演中は毎朝「今日もやるのか」と正直憂鬱になることもあります(笑)。でも、終わった後の解放感がたまらない。演劇でしか味わえない「生きているな」と思う感覚があります。
――映像と舞台では、演じる上での心持ちにも違いがあるのでしょうか?
基本的な部分は変わらないです。でも、稽古を重ねてステージに立ち、お客さまに見てもらうことで完成する舞台に対して、映像の場合はもちろんお芝居も大切ですけど、最終的に完成したものに仕上げるのは編集室。感覚的には、一筆書きと下書きを重ねて仕上げていくものの違いに近いのかもしれません。
とはいえ、どちらもいまだに毎回悩むことばかり。最近は「正解が見えなくても、固まりきらなくてもいい」と思えるようになりました。「できなかった」「ダメだった」と反省するようなときでも、逆にそういう演技を褒められることもあって。最近は「揺らいだところを全部出してもいいのかな」と思えるようになりました。
7月期のドラマ「私があなたといる理由~グアムを訪れた3組の男女の1週間~」(2025年、テレ東系ほか)でも、実を言うと演じた陽介の感情をつかみ切れず、悩みながら演じていたところがありました。でも、監督から「それが面白い」と言われて吹っ切れたというか。その迷いが逆に人間味につながっていたのかもしれません。20年たっても、まだまだ学ぶことがたくさんあります。
――そんな溝端さんが新たに挑む舞台「狩場の悲劇」。公演を楽しみにしている方々へメッセージをお願いします。
今回は永井さんの演出なので、今の感覚に刺さるチェーホフの作品にしてくれると思っています。「なぜ生で役者が芝居をするという、昔と変わらないことをやっているのか」と疑問を持つような若い方にも、ぜひ見ていただきたいです。映像とはまた違う、濃密な体験に飛び込んでもらえると思うし、時間を割いて見に来る価値があると必ず分かる。そんな作品になると感じています。
◆取材・文=吉田光枝


