調書作成恐怖症
七月、夏の盛りのある日、小笠原諸島の母島で傷害致死事件が発生した。私が、検事を拝命して間もなくのことだ。
すぐさま、私は事件の取調べのためにベテランの立会事務官、警視庁捜査一課や鑑識課の人たちとともに船を乗り継ぎ、日をまたいで小笠原諸島の母島に赴いた。
全員が同じ民宿に泊まり、早速捜査を開始した。
まず、私は、地元の診療所に出向き、医師を参考人として取り調べて、調書作成に入った。
ところが、ベテランの立会事務官は、口授しても何も書いてくれない。
口授する度に、人差し指を口に入れ、歯をいじりながらそっぽを向き、挙げ句の果てには首を振られる。
「検事、ダメだよ、こんな表現では!」
作成後、立会事務官から叱責された。
どこがまずかったのか、と思案した。
供述にある「おそらく、……だろうと思います」の部分が良くないとのことだった。
「個人の意見は証拠にならないだろう。裁判では異議が出る。事実とそれに基づく当時の認識を書かなければダメだよ」
立会事務官の指摘は、的を射たものだった。
裁判の証人尋問で、証人に質問が許されるのは事実に関することであって、「おそらく、……だろうと思います」などという意見を求めることは、異議の対象になり、許されないのだ。
検事は、被疑者や参考人を取り調べた後で、供述調書を作成する。
新任検事のとき、私は、供述調書には相手が話したことをただまとめて記載すればいいのだ、という程度に思っていたがそれは間違いだった。
供述調書は、裁判の場で、何が重要であるか、その観点を裁判官に指し示す重要な文書であり、事実と当時の認識を立証するための厳然たるものである。新米とはいえ検事は、それを強く意識すべきなのだ。

新任検事が直面した“調書の壁”
また、あるとき、恐喝未遂事件について、私は被疑者の供述調書を作成した。
脅しの言葉の内容、いつ脅そうと思ったのかという計画性に関する事実、脅したときの心境など、後で振り返ると、自分でもいったい何を書いているのかよく分からないあいまいな内容だった。
こんな供述調書でよく、起訴の決裁が下りたものだと思っていた。
ところが、後日、公判部の検事から電話があり、結局、裁判では、被告人の警察での供述だけを証拠として請求し、私の作成した供述調書は証拠請求しなかったと知らされた。
ショックだったが、その理由は明らかだった。
私の調書は法的観点から何を立証しようとしているのかがあいまいだったため、使い物にならない低レベルのものだったのだ。
また、母島への出張にベテラン事務官が同行したのは、私への教育と監督、警察との連携のためであることが後になって分かった。
その一件以来、私は、調書にまとめるのが怖くなった。調書作成恐怖症になってしまったのだ。
調書を作成しようとしても、つい公判部の検事に迷惑をかけたらどうしよう、という思いが先に立ってしまう。
その後、被疑者調書については、場数を踏んで要領が分かってきたこともあり、また先輩検事の調書も見せてもらい、恐怖心は和らぎ、徐々に力がついてきた。
ところが、参考人調書に関しては、作成恐怖症は和らぐどころか、以後、何年も続いた。
なぜ、参考人調書に限り、作成恐怖症となるのか?
その原因は、忙しい参考人のために短時間で取調べを済ませて調書を作成しなければならないという使命感であり、そのために追い込まれ、切羽詰まった焦りの気持ちに支配されるのだ。
参考人の取調べは、それ自体、二時間くらいかかるが、単に話を聞けばいいというものではない。
供述内容が他の証拠と矛盾していないか、常識に照らして不自然なところはないか、警察の調書から変遷していないか、変遷しているとすればその理由に合理性はあるか、などを記録と照らし合わせながら慎重に聴取していく。
その後、調書にまとめるわけだが、被疑者であれば、警察の留置場に勾留中なので取調べにかける時間にも余裕がある。
しかし、参考人が仕事や時間をやりくりして検察庁に足を運んで来ている場合は、早く済ませてもらいたいと希望している。
とはいえ、調書にまとめるにしても、一時間以上はかかる。
そう思うと、こちらもついつい焦ってしまい、頭の中でうまくまとめられなかったこともあり、今も自身の不甲斐なさ、痛恨の極みとして記憶している。

また、これも新任検事のとき、ある殺人未遂事件の捜査に応援検事として参加したときのことである。
大勢の取調べを行い、海外旅行から帰ってきた人と会った参考人の調書を作成して主任検事に見せたときだ。
「この調書だと、旅行から帰ってきた人と会ったときの様子について、会っていきなり本題に入っている。君は、久しぶりに会ったとき、旅行はどうだったか、楽しかったか、というようなことを一切聞かないでいきなりこんな会話をするのか。そうじゃないだろう。聞きたくなくても、一応社交辞令として聞いてあげるだろう。それがこの調書には出ていない。こんな内容では、裁判官は信用性に疑問を持つんじゃないのか。この参考人は、相手に旅行の感想を何も聞いていないのか、君が質問していないのか、どっちだ」と言われたのだ。
私は、この点について、相手に聞いていなかった。
そこで、部屋に戻り、改めてそのときのことを参考人に尋ねると、「ええ。聞きましたよ」と言って、当時の状況を詳しく話してくれた。信用性のある調書というのは、細部に神が宿るのだ。
私の聞き方が十分でなかったことで、この参考人の供述調書の信用性に問題があるかのような誤解を生じさせてしまっていたら、この人に迷惑をかけることになりかねなかった。

