ルノワールはどのように世に出た?〈シャルパンティエ夫人と子供たち〉までの道のりを解説

ルノワール、理想と現実のはざまで

ピエール・オーギュスト・ルノワールは、1841年にフランス中部の磁器の町リモージュで仕立て屋の子として生まれた。

幼いころに一家でパリに移った後、13歳の時に父の意向で磁器工房の絵付け職人の見習いとなる。しかし、産業革命による機械化が磁器工業にも及んだことで見切りをつけ、画家の道を志すようになった。

その後、グレールの画塾や国立美術学校で学び、特に画塾ではモネやシスレーら多くの友人と出会う。一方で、ルーヴル美術館でヴァトーやブーシェら18世紀のロココの画家たちの作品を模写したり、モネ達と共にフォンテーヌブローの森に写生に出かけるなど、自主的な研鑽にも励んだ。

1864年にはサロンに作品が初めて入選する。その後も、たびたび出品しては入選と落選を繰り返したが、次第に保守的で革新的な手法を受け入れようとしないサロンのあり方に疑問を抱くようになっていく。

1874年、ルノワールはモネら画家仲間たちとともに、無審査で自由に作品を展示できる場所を設けるために共同出資会社を設立し、自分たちだけのグループ展(第一回印象派展)を開催した。

このグループ展に、ルノワールは〈桟敷席〉を含め7点の作品を出品したが、展覧会は酷評にさらされ、作品も売れなかった。

1876年の第二回には、17点を出品。そのうちの一つが、木立の中に座る裸婦の半身を描いた〈陽光の中の裸婦〉だ。裸婦の肌に落ちる木漏れ日を白い斑点として表し、顔のくぼみなど影になる部分を青や紫の色調で描くという画期的な手法を用いた意欲作だった。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈陽光の中の裸婦〉ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈陽光の中の裸婦〉、1875年、オルセー美術館(パブリックドメイン), Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、筆の跡を残さないよう滑らかに仕上げるという当時の美術の「常識」を破ったその表現や、曖昧な輪郭は、非難の的となった。雑誌『ル・フィガロ』紙の展覧会評でも、「腐乱死体のよう」と痛烈に批判された。

自分の描きたいように描きたい。それを人に見てもらいたい。

そんな思いから、ルノワールは同志たちとともに印象派展の立ち上げに参加した。しかし、現実は厳しい。もともと裕福な家の出ではないルノワールにとって、絵が売れないことは生活苦にも直結していた。このままではいけない。

事態を打開するためには、何よりも絵を売ること。そのためには、やはりサロンで入選して名を挙げるしかない。そして、その成功を足掛かりにして新しい顧客と仕事を獲得することが必要だ。

ルノワールはついにサロンへの再挑戦を決意する。

挑戦に向けて―――ルノワールの作戦

サロンに挑戦すると言っても、ただ闇雲に作品を出品しては成功は望めない。入選を確実にし、さらに注目を集めるためには作戦が必要だった。

まず、ジャンルはどうするか?肖像画にしよう。

もともとルノワールは人物を描くことに強い興味を抱いており、これまでにも数多く手がけてきた。肖像画ならば、自分の得意分野を活かせるうえに、絵画ジャンルのヒエラルキーでは歴史画に次いで第二位にあたるため、評価を得やすい。

では、誰をモデルにするか?

これまでにも練習を兼ねて家族や友人をモデルに肖像画を描くことはあった。しかし、審査員や展示作品を見に来る人の目に留まるには、それだけでは十分ではない。パリでは誰もが知っている有名人やその関係者が理想的だ。そうすれば、有力者とのつながりがアピールできるし、入選した時には作品を良い位置に飾ってもらえるだろう。

そこでルノワールが目を付けたのが社交界の名士マルグリット・シャルパンティエ夫人だった。彼女は出版業者ジョルジュ・シャルパンティエ氏の妻で、毎週金曜日には自宅でサロンを開き、作家や画家、俳優、政治家など多彩な人々を招いていた。

シャルパンティエ氏自身も前衛的な印象派の絵画に関心を抱き、1875年の競売会ではルノワールの作品を購入している。

これらの出来事がきっかけとなって、ルノワールは夫人のサロンに出入りするようになり、1876年には夫妻の長女ジョルジェットの肖像画の依頼を受けることになった。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢〉ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢〉、1876年、アーティゾン美術館(パブリックドメイン), Public domain, via Wikimedia Commons.

大きな椅子の上に脚を組んで座っているのは当時4歳のジョルジェットだ。青いドレスをまとった彼女の姿は、やや暗い室内にあっても明るく浮き上がって見える。柔らかそうな頬はほのかにバラ色を帯び、黒く小さな目は生き生きとこちらを見つめ返す。

肩までの長さの金髪も明るく輝いている。口元にはやや緊張した表情ながらも笑みが浮かび、大人用の椅子に座っているためか、足が床に届かないのも微笑ましい。

この肖像画が夫妻を大いに喜ばせただろうことは、想像に難くない。作品は別に描かれた夫人の肖像画とともに1877年の第三回印象派展に出品された。

その後、ルノワールはいよいよサロンに向けた新作に着手する。

配信元: イロハニアート

提供元

プロフィール画像

イロハニアート

最近よく耳にするアート。「興味はあるけれど、難しそう」と何となく敬遠していませんか?イロハニアートは、アートをもっと自由に、たくさんの人に楽しんでもらいたいという想いから生まれたメディアです。現代アートから古美術まで、アートのイロハが分かる、そんなメディアを目指して日々コンテンツを更新しています。