
にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。
「赤字覚悟」のライブが嫌いないわし。
「楽しければそれでいい」な芸人が苦手ないわし。
その理由は単純明快だ。だって、私たちはプロだから。
お金をもらってお笑いをしている私たち。それならば、「楽しい」をちゃんとした「お金」に変えなければいけない。そこにちゃんと、金額分、いや金額以上の「満足」をつくりださなければいけないと思う。
だから私は、自分の「おもしろい」を模索し続ける。
今は思うような結果に結びつかないことが多いけれど。
高飛車だとか、売れてないのにとか、そんな声も聞こえるけれど。
それでも、「しんどい」が「楽しい」に変わるその日まで、この信念を決して腐らせたくない。
■第16夜「そうと言ってもねえ」
右下の退出ボタンをクリックする。両耳のイヤホンを一気に取ると先ほどまで空気に触れられなかった耳介部が、部屋の温度よりも温まっていることに気づく。
部屋は思ったよりも寒かった。
大盛り上がりしたYouTubeの企画会議。右下の退出ボタンをクリックした瞬間、この企画でお金がちゃんと発生するのか不安になる。楽しいし、楽しそう。そんな温かい気持ちは、みんなと画面の中で笑い合っていたとき限定の幻なのかもしれない。私は温かさを冷やすのがうまい。ちゃんと、それで、食えるのか。みんなのこの時間を還元できるほどお金がもらえるのか。何が足りない、どう足りない。
楽しいことをただやるだけではいけない。そんなわかりきったことを、ずっとわからないもどかしさに、右足の甲と左足の足裏を擦り合わせた。足はなかなか温まらず、ブランケットを取りに立ち上がった。

せっかく「楽しい」と思ってやっていても、「楽しいだけでは意味がない」が追い越してくる。「楽しい」だけでいいと思っていた時期なんて、お笑いの養成所に通っていたときだけだった気がする。
私は、採算度外視で「ただただ楽しい」をやっている人たちが、どうも好きになれなかった。ライブ終了後に「赤字やねん」と心の底から笑ってビールをぐびぐび飲んでいる奴が信じられなかった。「ギャラなしで大丈夫です!」とお笑いライブを無料でやる人たちにも、喝を入れたい気持ちになっていた。
赤字ということは、誰かが身銭を切ってお笑いをしているということになる。それがスタッフなのか、芸人なのかはさておき、「お笑いをボランティアでやる」というのは、私にはできなかった。
だって、私はプロだから。理由はそれしかない。
私たちは、お金を払ってでも見たいお笑いをする必要がある。その責任がある。だから、ライブが赤字で終わるということは、自分たちのお笑いに価値が生じなかったと同等だと思う。それはとても悲しいことで、でも同時に現実で、それが自分たちのお笑いの対価なのである。だから、絶対に価値がでるようなライブにしないといけないし、お金を払ってでも見たいと思ってもらえるような、足を運んでくれるお客さんにとってのスターにならないといけない。
そんなことを言うと、プライドが高いとか売れてないんだからとかいろんな意見が飛んでくる。でも私はそういうプライドこそが、自分のお笑いがお金になる日がくるための第一歩だと思っていた。
だけど、プライドに苦しめられている自分がいるのも事実である。例えばYouTubeは全然回ってない。自分たちの中ではとてもおもしろいと思ってやったことでも、全然再生回数につながらない。編集や企画費を払うと、完全に赤字である。何かが悪いからこんなことになっているはず、でもそれが何なのか。わかるようでわからない。
この1年間、ずっと試し試しでやってきたけれど結局実らなかった。世間のニーズに合ってないのか、企画がおもんないからか、はたまたうちらがおもんないからか、全部なのか。仲間といっしょにどうにかおもしろいことを考えて、動画を投稿して。でも全然回らなくて。チームの士気は下がっていく。貯金はどんどん減っていく。
いちばんおもしろくない優勝賞金の使い方をしている。今日は特段冷えるなと思ったら、雨が降ってきた。これから年末にかけてグッと冷え込むのだろう。なんだか怖くなってきた。
収支とか関係なく、ただただ「楽しい!」だけでやってみたいとも思う。豪華なセットの前でコントをしたい。すごいゲストにオファーして、ギャラだけですっからかんになってしまうような、でもそれほどの濃密な時間を過ごしてみたい。景色の綺麗なところに行って、おバカなことをしてみたい。自分が見たい!と思う動画を、自分が行きたい!と思うライブをしたい。
でも、それも怖い。それがうまくいかなかった場合、私は「でも楽しかったからよかった」なんて言いながら、ビールを飲めるのか。多分飲めない。絶対に飲めない。絶対に悔しいのだと思う。だから、絶対にプロとして「楽しい」と「収支」をきちんと生み出せることを考え続けるべきなんだと思う。それがいちばんしんどいけれど、しんどいのその先の、絶対にあるはずの「楽しい」を信じて。
■後輩には伝えられた、先輩の言葉
後輩からネタの相談を受けた。自分たちがやりたいネタとウケるネタが違う。早く売れたいからウケるネタに変えた方がいいのか。でもそのネタをやっても楽しくない。後輩がアイスコーヒーにミルクを入れて、くるくる混ぜる。氷が邪魔して混ざりにくそうだ。
「世間が迎合してくれる時が来る」
売れてる先輩がいつかどこかで言っていた言葉を思い出した。自分が悩むときには、まったく思い出せなかったのに。
「やりたいネタをやり続けていたら、いつかどこかで世間が迎合してくれるらしいよ」
私は、ミルクとコーヒーの境目を見ながら、そう後輩に言ってみた。
「そうと言ってもねえ」と返してきた後輩。
「ね」と返す。

喫茶店を出ると、冬の冷気に身を屈めた。こないだまで暑かったのに、と話しながら駅に向かう。春がくるまでそのまま頑張るか、冬に合わせた様相で頑張るか。どちらも苦しいかもしれないけれど、私は、季節が巡ることは十分に知っている。

