11月28日公開の映画『兄を持ち運べるサイズに』で主演を務める柴咲コウさん。本作は、作家・村井理子さんが兄の突然死からの数日間を綴ったノンフィクションエッセイ『兄の終い』を映像化したもので、脚本・監督を手がけたのは、『湯を沸かすほどの熱い愛』や『浅田家!』で知られる中野量太監督。
切っても切れない家族との縁や、思うようにいかない関係性──、きっと誰もが「家族ってこうだよね」と共感し、自然と自分の家族のことを思い出してしまう、そんなストーリーになっています。
柴咲さんが演じるのは、作家であり、2人の子どもを育てる母でもある理子。物語は、絶縁状態だった兄(オダギリジョー)の訃報を受けるところから始まります。兄の死をきっかけに7年ぶりに再会した、兄の元妻(満島ひかり)やその娘、そして兄に引き取られていた息子・良一(味元耀大)。定職につかず、困ったときだけ連絡をしては金の無心をしてくる、家族にとっては“困り者”だった兄の後始末を、もはや“他人”となっていた兄の元妻とともに進めていく中で、遠い記憶になっていた兄との家族の時間が少しずつ蘇っていきます。
撮影中に「すごく家族のことを考えた」という柴咲さんに作品のことはもちろん、家族に対する思いをじっくりと語ってもらいました。
「無意識にも家族のことを考え、自分自身を見つめ直しました」
――まずは脚本を読まれたときの率直な感想をお教えください。
柴咲コウ(以下、柴咲) 家族の物語を描いたこういう実直な作品が新鮮に感じられて今回の作品をお引き受けしました。実際、私には兄はいませんが、オダギリさんが演じる兄の存在にすごく共感できたんですよね。なんかこう「外面はいいけど、身内は大変だよな」とか、「家族としてフォローしてうまくやりたいのに乱す人っているよな」とか、そういうのって“家族あるある”じゃないですか(笑)。
――あるあるですよね(笑)。
柴咲 なので、撮影中は無意識にも家族のことを考えましたし、自分の態度や対応が正解なのかなと改めて思いを巡らすことも多くて、結局は家族を顧みながら、自分自身を見つけ直すことが多かった気がします。
――理子役を演じる上でこだわった点や工夫された点は?
柴咲 監督の強い意向で撮影に入る前にオンラインミーティングという形で村井さんとお話しする機会をいただいて、その場でお聞きした内容が人物像をつかむ大きなヒントになりました。もちろんそのままトレースしたわけではないんですけど、方向性が見えたというか。村井さんはドライな一面を持ちつつ、自分もまわりも客観的に見られる方だという印象があって。だからこそ、心の奥にしまっている本音もきっとあるんだろうなと感じたんです。それがエッセイを書くときに自然とにじみ出て、読者の共感に繋がっているんじゃないかなと思いました。作家として働きながら家事もこなす女性像で、柔らかさやしなやかさの中に、ちょっとした頑固さや芯の強さが見えるようにしたくて、衣装合わせの段階から、メイクも含めてそうしたバランスを意識しながらつくっていきました。撮影は2024年の10月ごろだったのですが、直前まで別の役でロングヘアにしていたんですね。そこからこの作品のためにバサッと髪を切って、少しの柔和さを意識して。あとは角を立たせない、人に迷惑をかけたくない、そんな人柄を醸し出せるように、少しウェイトコントロールもしましたね。
――原作からヒントを得た部分はありましたか?
柴咲 実は原作を読まなかったんです。イメージができすぎてしまうのが嫌で、今回は初めて脚本を読んだときの感覚を大切にしたかったので、あえて読まない選択をしました。
――柴咲さんのイメージとは全く違う、言い方が難しいですが“普通の人”を演じられていたのがとても意外でした!
柴咲 普通ですよ、私(笑)。でも、私のインスタとかを見てくださっている方からすると、すごくギャップを感じる役かもしれないですね。ファッションとか自分の見せ方とかが全然違うので。
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「まわりに迷惑をかけたくないという思いや家族との距離感は理子と似ているかも」
――役柄とご自身の共通点はありましたか?
柴咲 「人に迷惑をかけたくない」という気持ちや、家族に対しても一定の距離を取るところは似ているかもしれません。撮影前のオンラインミーティングで村井さんが、自分の旦那や子どもといい意味で距離感があるとおっしゃっていて。そこまでベタベタした関係にならないところは似ているのかなと。私はさらに輪をかけてそうかもしれないけど(笑)。
――それは、まわりに迷惑をかけたくないから?
柴咲 そうですね、あと“かけられたくない”もあるかもしれない(笑)。いくら家族といえど、やっぱり個なわけで、あんまり踏み込みすぎちゃうと映画の中の兄じゃないですけど、相手に対してこうなってほしいとか、こう変えてほしいとか、自分のエゴがでてきちゃうじゃないですか。だからある程度の距離は必要なのかなと思っていて。自分の家族でいえば、父はもう歳を重ねているので、今後は介護が必要になってくることもあると思うんです。けど、父も「人様に迷惑をかけたくない」という思いが強い人なので、どこか痛いところがあっても多分言わない。で、私に「もっと早く言ってよ!」と怒られるみたいな(笑)。そういう“我慢しちゃう気質”は、私にもあると思いますね。
――もし実際に映画のような傍若無人な兄がいたら許せないですか?
柴咲 どうだろう、リアルにいたら距離を置くしかないですよね(笑)。でも下手したら私も“兄側”かも? 「迷惑をかけたくない」と言いながら人と距離を置くのってきっと、人に合わせるのが苦手だからなんですよ。人に理解してもらえないのがわかっているから、あえてそうしてしまうみたいな。
――もしかしたら柴咲さんにも、作中の兄のようになる要素が……!?
柴咲 あります、あります(笑)。作中の兄のように空気を読めない、読みたくない部分もありますし、「ほっといてください。勝手に生きたいです」みたいなところもあって。人に迷惑をかけたくないと思う真面目さと、ほっといて!と思う自由さ、その両方が自分の中にある気がします。
――兄弟の中で理子は“ちゃんとした方”でしたが、それでも細かい表情や反応など、所々に「兄妹だな」と感じる変な部分はありましたよね(笑)。
柴咲 やっぱり理子もちょっと変なんですよね。そういう部分の間合いはけっこう細かく監督から指示があったんです。シーンごとに監督のこだわりポイントがすごく個性的で、「ここは気にならないんだ」ってところもあったりして(笑)。
――中野監督との初タッグはいかがでした?
柴咲 最初はつかみどころがない人なのかなと思ったんですけど、実際はそんなことなくて、けっこう丸出しな方というか、すごく正直な方でした。ちょっと違うんだよなという演技をすると、「ちょっと違うんだよな」という顔で寄ってくるので、こちらも「あ、違ったんだな」ってすぐわかるんです(笑)。そういう意味でも風通しがとてもよくて、監督が思い描いているものに近づけたときの嬉しそうな表情見ると、こっちもよかったなと思う。その積み重ねで、愛情いっぱいの作品になったと思います。
――中野監督が撮る家族の姿は、どの作品でもすごくリアルですよね。監督ならではの手法などはありましたか?
柴咲 事前準備がとにかく丁寧でした。出演者同士でたくさんコミュニケーションを取ってほしいと言われて、子役の子たちともおやつの時間をつくって話したりして。そのおかげで村井家の食卓のシーンは本当にリアルで親密になったと思います。
――時間が経過する中で家族との関係性が変化していくさまもリアルでした。
柴咲 私自身、演じながら自分の家族観を学んでいくような感覚があって。「私にとって家族とは?」というモノローグから始まり、その答えは何かあるようで変化もするし、兄の死後に後始末をしながら追体験をしていっていろいろ思い出して、相手がもういないからこそ押し込めていた感情が出てくるんだなと気づきましたね。あと血縁だけでなく、元・義理の妹の加奈子ちゃんは、言ってしまえば血縁関係もないし、他人じゃないですか? その子どもは兄の血をわけているけど、切れてもおかしくない関係を兄の死が繋いだというのもまた奇妙なところで。4人で4日間の濃密な時間を過ごすうちに、ここまで関わったらもはや“他人じゃない関係なのかな”と感じ、血の繋がりだけじゃない何かがあるんだなと思いました。
――観終わったとき、自然と自分の家族に思いを馳せてしまう作品ですよね。
柴咲 そうですね、撮影中からずっと家族のことを考えていました。もっと優しくしたいなとも思ったし、“自分の当たり前は他人の当たり前じゃない”というのは家族にも当てはまることなんだけど、どうしたって自我の押しつけが出てしまう。そういうところは反省もしました。だからといってすぐに態度が劇的に変わるわけではないんですけど、少し優しくなりたいと思いましたね(笑)。

