
四国編の第40回は、香川県宇多津町の「トートコーヒー」。瀬戸大橋を間近に望む海岸沿いに開店して16年、香川のスペシャルティコーヒー専門店のパイオニアの一つとして、地元の支持を得る一軒だ。店主の玉地徹大さんは会社員から転身し、島根の名店・カフェロッソで、バリスタ界の第一人者である門脇洋之さんの元で経験を積み独立。当時は珍しかったラテアートをきっかけに、コーヒーの新たな可能性を感じたことが、開業の原点にある。難しいと思われがちなコーヒーのイメージを払拭し、より気軽にコーヒーを楽しんでもらうために、玉地さんが重ねてきた工夫とは。

Profile|玉地徹大(たまち・てつひろ)
1978年(昭和53年)、香川県生まれ。大学の工学部を卒業後、オフィス家具メーカーに勤務。当時からコーヒー好きで、老舗や名店を訪ねるなかで、島根のカフェロッソとの出合いを機にロースターへの転身を決意。カフェロッソで約2年の修業を経て、2009年に地元香川で「トートコーヒー」を開業。界隈でスペシャルティコーヒー専門店の草分けとして支持を得て、2021年には、うたづ臨海公園内に姉妹店となる「海と空のカフェ」をオープン。
■“見ても楽しめるコーヒー”に感じた可能性

「開店は地元でと考えていたんですが、30軒くらい不動産を回って、なんとかここを見つけたんです」という、店主の玉地徹大さんは、大学の工学部で学んだあとに、家具メーカーを経て転身。カフェやコーヒー店で働いた経験はなかったが、当時から自宅で各地の豆を取り寄せて飲んでいたほどのコーヒー好きだ。もともとロースターに関心を持ったことから、会社員時代には自家焙煎の老舗や名店も訪ね歩いていたという。

当時から、コーヒーの焙煎をしたいとは考えていたものの、「単に“自家焙煎コーヒー店”というよりは、何か新しいことを取り入れたかった」という玉地さん。開業を具体的に模索するようになって、各地で評判の店を巡るうちに方向性を決定付けたのが島根の名店・カフェロッソで初めて体験したラテアートだった。これまで、飲んで楽しむものと思っていた玉地さんにとって、“見て楽しむコーヒー”は画期的だったという。「当時は自家焙煎というとややマニアックなイメージがあって、できるだけ敷居を下げたかったのですが、これならコーヒーを飲む人がぐっと広がる、明るいイメージが湧きました」と振り返る。幸いにして、カフェロッソのスタッフに採用されたことで一念発起、思い切って会社を辞めて島根で修業を積むことに。トップバリスタの元で過ごした経験は、自店を始めるうえで大きな財産となった。

■誰もが受け入れられるブレンドを店の柱に

当初からロースター志望の思いを伝えていた玉地さんだが、焙煎機を扱い始めたのは開業2週間前から。「理論は見て覚えたものの、実際に触ってみたら感覚が違って、最初はどうしようかと思いました」と苦笑する。はじめはシングルオリジンを扱わず、店の顔となるブレンド作りに専念。いつ来ても同じ味わいのコーヒー豆があること。浅煎り、中深煎り、深煎りの3種のブレンドを用意して幅広い嗜好をカバーすることに重点を置いた。

当初、シングルオリジンは3種ほどだったが、年々、種類を広げてきた。その転機となったのは2012年ごろ、長野の丸山珈琲が中心とした豆の共同仕入れグループ・珈琲の味方塾(現・JRN)への加入だ。2014年にはグループでの買い付けのため、初めてブラジルの産地を訪問。その後もたびたび産地を訪れ、自分の目で選んだコーヒーを出せるようになったことが大きいという。「実際に行ってみると、豆に対する思い入れが出ますし、お客さんに伝えるにも説得力が増します。現地で実感したことを伝えられるから、より提案がしやすくなりました」

■時代と共に変化する細やかなメニュー提案

豆の販売も年々増えていったことから焙煎機は、6年前にローリング・スマートロースターを導入。現在、シングルオリジンのメニューは、時季ごとに入れ替えながら7、8種を提案する。「小ロットでいっぱい種類を取るから、ストックは40くらいはあります。けっこうな頻度で顔触れを変えて、その時々に勧めています」と、多彩な味わいを楽しみにするお客も多い。
その中でコスタリカ・ブルマスは定番化している銘柄の一つ。浅煎りと中深煎りの焙煎度違いを提案し、時に2人連れのお客がシェアして飲み比べをする姿も見られるとか。「ちょっと特別な体験もできるように、COE(国際的な品評会で、世界最高水準と評価されたコーヒー豆)も常に1種は置くようにしています。ここに来ればおもしろいコーヒーが飲める、と思ってもらえれば。また近年はカフェインレスのニーズが高まってきて、妊婦さんとかだけでなく、若い世代で常飲する人が増えた印象ですね」と、メニューには時代の変化も反映されている。

趣向を凝らしたメニューの中で、開店以来、圧倒的な人気を誇るのがカフェラテやカプチーノ。「僕がカフェロッソで驚いたときのインパクトを伝えたくて。あのころはラテアートも身近になかったから、コーヒーでこんなことができるんだという驚きが、この店の原点。その楽しさを感じてほしいから、スタッフにもラテアートを練習してもらっています」。また、モーニングセットやパニーニのランチなどフードメニューも好評。2013年から、宇多津町特産のさぬきの古代米と入浜式の塩を使ったドリアもランチに加わり、看板メニューの一つに。さらに、創業以来の定番、ティラミスをはじめスイーツも充実。近隣の観光スポットを訪れる県外の行楽客にも好評だ。

■幅広いお客の好みに応える、地元に根ざした店作り

いまや香川のコーヒーシーンを牽引する存在となった「トートコーヒー」だが、開店当初は、「おいしいコーヒーを広めたいという思いが強すぎる時期もありましたが、しばらくしてお客さんが求める場所として、ゆっくり知ってもらおうと思えるようになりました」と振り返る玉地さん。以来、豆の販売を広げる企画を続け、カフェの常連が定着して以降は、コーヒーをもっと身近なものにするべく、家庭での楽しみ方の提案にも力を入れてきた。
また最近は、「原料や抽出だけでなく、コーヒーを起点に道具や食器などでさらに楽しみを広げたい」と、今までの経験をプロダクトの形にしたのが、2024年に完成したオリジナルカップだ。「以前からカップの形状によって味が変わるのは感じていて。内側の形状で口の中のコーヒーの広がりを変える発想で、焙煎度に関わらず求める味を伝えられるフォルムを考えました」
さらに、新たな展開として2021年に、うたづ臨海公園内のうたづ海ほたるに姉妹店となる海と空のカフェを開店。開放感抜群の空間は、界隈の新名所として注目の存在に。地元の特産品を使った古代米のサンドイッチや古代米ソフトクリームなどの限定メニューは、観光客にも好評だ。

16年で地域の店として定着し、展開を広げてきたが、当初から一貫しているのは一部の人に特化しない味作り。「コーヒーに関して言えば、浅煎りから深煎りまで幅広くそろえるのが基本。お客さんの好みがどこかに当てはまるように心がけています」。サードウェーブの到来以降、コーヒーシーンの変化の波はたびたび訪れたが、流行に流されず、地元に根ざした店作りを目指してきた。肩肘張らない姿勢は師匠譲りのところもあるようだ。「修業時代、門脇さんはあれこれ指図することは少なくて、ある程度自由にいろんなことを経験させてもらった。だからか、自分も決めつけなどしないし、自然とそれが店作りに生きているかもしれません」
20年目に向けても、店のスタンスは変わらない。「今まで通り、産地を訪れて安定していい豆を仕入れる。新しい産地の取り組みも紹介したい。コーヒーはいまだ難しいというイメージがありますが、気軽に楽しんでもらうため、コーヒーとお客さんをつなぐかけ橋のような存在になれればと思っています」

■玉地さんレコメンドのコーヒーショップは「BRANCH COFFEE」
次回、紹介するのは、愛媛県西条市の「BRANCH COFFEE」。
「店主の越智さんも、カフェロッソの門脇さんの元に通って開業された先輩。開業時にいろいろアドバイスをもらったり、同じ買い付けグループに誘ってもらったりしました。豆の買い付けから焙煎、メニューにいたるまで、細部に妥協がない丁寧な仕事で、安心して勧められるお店です。特に松山店は、豆の販売をメインに打ち出しながらカフェも利用できる店として四国でも画期的な存在。ロースターとしての矜持が伝わる一軒です」(玉地さん)
【トートコーヒー】
●焙煎機/ローリング スマートロースター 15キロ(完全熱風式)
●抽出/ハンドドリップ(カリタウェーブ)、エスプレッソマシン(シネッソ)
●焙煎度合い/浅~深煎り
●テイクアウト/あり(540円~)
●豆の販売/ブレンド3種、シングルオリジン8種。100グラム939円~
取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治
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