12月3日(水)19時半より、上野千鶴子さん、鈴木涼美さん、伊藤比呂美さんによる、オンライントークを開催します。テーマは、「結婚すること、産むこと、育てること。そして老いること、ケアすること」。開催を前に、昨年6月のお三方のトークをまとめた電子書籍「限界から始まる、人生の紆余曲折について」より、一部を抜粋してお届けします。ここから1年半経った12月3日のトークもぜひご覧ください。

産む女のエゴイズム
上野 解説の中で伊藤さんは、娘の母になった自分自身について強烈な一言を書いておられて、私にはグサリと刺さりました。文庫版解説の最後(374ページ)、読んでない人もいらっしゃるでしょうから、朗読が得意な比呂美さんにご自分の文章を読んでいただきましょうか。
伊藤 「私は娘しか産まなかった母である。妊娠する前には、上野さんの持つ恐怖、解らぬでもなかった。漠然と、私も同じような恐怖を持っていた。でも産むつもりの妊娠を最後までやり遂げてみたら、たまたま女で、育ててみたら、その子はその子だった。娘が女であることについて、嫌だとも困ったとも考えたことがない。だいぶ振りまわしたが、振りまわされもした。育つ苦しみには、私が母だったという理由もあっただろうが、ちゃんと生き延びたし、やがて育って離れていった。このまま会わなくてもいいのかもしれない。これなら別に恐怖するまでもない。娘の母になったらという恐怖も、もしやミソジニーがこねくり回されてつくり上げられたものだったんじゃないかと考えたことがある」
上野 これは、私に対する挑戦だと。
伊藤 (笑)見破られましたね。
上野 だから、ここでちゃんとお答えしようと思って。はい、その通りです。ミソジニーの効果だと思います。産まない女って、すぐに「エゴイスト」と揶揄されますが、産まない女のエゴイズムと、産んだ女のエゴイズムと、どちらがより大きいか。あるとき産んだことのある女友達に質問したら、彼女はカラカラと笑って、「そりゃ、産んだ女のエゴイズムのほうがずっと大きいに決まってるわよ」と言ったのよ。その通りだと思う。そう考えると、産むことを選択したおふたりは、生命体として私よりもずっと強い。私はこうやって遺伝子も残さずに消えていくだけですから。
伊藤 今のコンテクストで「エゴイズム」ってなんですか。
上野 自己愛ですよ。今回の打ち合わせのメールのやりとりで、このトークイベントを書籍化したいと言う編集者に対し、私が「欲を出さないように」と伝えたら、比呂美さんは「いや、欲出しましょうよ」って。やっぱりすごいよね、比呂美さんのエゴイズムは(笑)。
伊藤 えっ、あれは観客を増やそうということじゃなかったの? だって観客は多いほうがいいでしょう? これもエゴイズム?
上野 はい、欲の強さはエゴイズムのあらわれです(笑)。
鈴木 私は、学生時代はいつも一緒だった気の合う友達が、子どもを産んだ途端に価値観を変貌させるのを見てきました。子どもの話になると、我が子が良ければ他の子はどうでもいいのかと思うほどデリケートで怒りっぽくなる。こちらが一般論を話していても、「え? 私の子がそうだってこと?」と自分事に受け取ってヒステリックになったり、受験のことでものすごくピリピリしたり。子育てって、こんなにもエゴイスティックな感情を抱かせるものなのか、と引いてしまって、子育て中の友達とは距離を置くことが多かった。だから今回、自分自身がそんなふうに変わっていくのかどうか、楽しみでもあり、怖くもあります。
上野 自己愛と言ったのは正しくないかもしれません。「我が子だけが可愛い」という小さなエゴイズムより、むしろ生命体としての欲の深さかな。
伊藤 「自分こそが生み出すもの、生きとし生けるものの中心、世界の中心である!」という感じは、すごくありましたね。
上野 そう、比呂美さんにはそれがある。私にはないので。

